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三春物語650番北小泉村鎮守「二荒山神社」


北小泉村鎮守「二荒山神社」


三春城下の西三里余、磐城国と岩代国を分ける阿武隈川と桜川に挟面した旧北小泉村
江戸期には御三家水戸徳川家の分家、磐城守山藩松平家領でした。
二荒山神社は、その代官屋敷付近にあります。



祭神を、事代主命としています。
起源は不明ですが、北小泉村の鎮守として日光大権現を勧請。
旧神号を日光権現としています。



二荒山(ふたらやま)の名は、諸説あるが観音菩薩が住むとされる補陀洛山(ふだらくさん)が訛ったものといわれ、のちに弘法大師空海がこの地を訪れた際に「二荒」を「にこう」と読み、「日光」の字を当てこの地の名前にしたといわれる。



境内末社に、稲荷神社と蚕養神社を祀っています。
また、古代遺跡もこの附近から出土しています。



かつては、旧暦の五月一日が祭日でしたが、現在は新暦11月3日です。



神社とは、人々の信仰を集める祭祀の場であるとともに、古来より地域のコミュニティの場として機能してきました。


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守山藩 松平氏2万石は、 水戸藩祖の徳川頼房の四男、徳川光圀の異母弟である松平頼元は、水戸家から常陸国額田に2万石を拝領された。
次代・頼貞の時、幕府より陸奥国・常陸国に2万石を与えられ、常陸国額田を水戸家に返上し、陸奥国・守山(現郡山市田村町)に陣屋を構えて守山藩が成立した。
水戸家同様、江戸定府大名で、歴代藩主は江戸小石川の藩邸に定住し、参勤交代を行なうことは無かった。
藩主以下殆どの家臣は江戸にあった。

尚、幕末期の元治元年(1864年)、武田耕雲斎ら天狗党の乱のとき、守山藩でも乱に関わった者が多数いたため、藩士の多くが処罰されている。



| ryuichi | 04:23 | comments (x) | trackback (x) | 🌸田村庄六十六郷 |