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三春物語665番「厚木航空隊鎮圧と佐藤六郎元海軍大佐」
 先日、カネサン書店社長から、母方の従兄弟佐藤さんとの会食に御案内を受けまして、同席させていただきました。

その前に、先日亡くなられたカネサン書店のお母様の実家である、北畠湊家について照会を受けましたので、私なりに調べた事柄をつまみとして持参しました。

酒席の中で、お互いの母方の父親、であり、明治期の三春町長や、旧帝国議会衆議院議員を勤めた旧三春藩士族湊季松氏の孫ですので、湊家のルーツ探しはなしになり、
家紋から、この湊家は北畠浪岡家からの分家だということ、即ち村上天皇の末裔ということなど説明しました。

また、当高橋家の本家のばあちゃんの親戚ということもわかりました。

そして、なんと従兄弟であるこの方、太平洋戦争末期の無条件降伏前夜に、降伏に反対し徹底抗戦を主張した海軍三〇二航空隊司令:小園安名大佐以下の反乱軍が占拠した厚木基地の航空隊本部に乗り込み、日本を無事降伏の道しるべを築いた、三春在芦沢出身の佐藤六郎海軍大佐の息子さんでした。

後に、厚木事件とよばれると海軍厚木基地占拠は、終戦直後のマッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立つ事を知った海軍将校の一部が、飛行機の残骸で滑走路を封鎖し、迎え撃とうとしていた事件です


昭和20(1945)年8月15日、ポツダム宣言の受諾、そして無条件降伏に反対し、厚木航空隊では司令官小園安名(こぞの やすな)大佐の命令で、降伏反対のビラを撒くなどして徹底抗戦の意思を表明していました。

しかし、こうしたビラや抗戦の訴えに応える全国の陸海軍や民間の動きは少なく、小園大佐の入院や各方面からの説得などにより、反乱は20日には収束しました。
そして22日までに厚木航空隊は解散、8月30日には連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが厚木飛行場に到着しました。

その反乱軍である厚木航空隊を、小園指令と同期である海軍佐藤六郎大佐と安藤明大安組の親分が、反乱を阻止し無事鎮圧平定しました。

反乱軍が銃を構える中、平和な日本を目指して、文字通り命がけで、佐藤、安藤両氏は、大安組の社員を使って、滑走路に散乱する航空機の残骸を片付け、3日間で使える滑走路復元したということでした。







そのため、安藤親分は日本海軍から、海軍として最後の感謝状を送られました。

 安藤親分は、その後、築地に「大安クラブ」を作り、会社の莫大な金を投資し、GHQの高級将校を連日のように接待し、天皇制護持を訴え、日本6分割案に反対した、と言います。
 

昭和38年、青山斎場で行われた安藤親分の葬儀で、佐藤六郎元海軍大佐が弔辞で初めて戦後期における安藤氏の人知れぬ功績を披瀝しました。

そこで初めて、国民は安藤氏の大いなる軌跡を、佐藤氏の弔辞を元にして発表した週刊文春や週刊新潮誌上で知ることになるのです。
 
今日の日本は、戦後のドイツのように東西に分割されず、一つの国として生きることが出来ました。

これも、無頼漢にして国家のために尽くした佐藤六郎氏と安藤明氏のお陰であると認識できます。


三春昭進堂代表 菓匠髙橋龍一

| ryuichi | 04:35 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |