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三春物語666番「三春城下祭礼御輿掛の盛砂(もりすな)」
三春城下祭礼御輿掛の盛砂(もりすな)



三春城下、新町田村大元神社や荒町八雲神社、そして八幡町八幡神社など祭礼のとき、長獅子舞が奉納される地域での御輿掛と呼ばれる神輿休息所(字委員や神社総代、そして新築の家、または神道の家など)の玄関前にバケツ二配分川砂を四角に盛り砂している光景を見ます。これは御輿掛に神様が入る前に、長獅子が舞い穢れを払うときに踏み散らすもので、由来は、諸説様々ありますが下記の説が考えられます。
呼び名は、盛り砂・立て砂・斎砂など呼ばれていますが、お砂踏み場との関係もあるのかと思います。

基本的な由来としては、清めの砂・そこに厄を集めて封じ込めるという意とされています。
それを踏まえた、由来として、古来よりの言い伝えでは、

儀式や貴人を出迎えるとき、車寄せの左右に高く盛った砂。
立て砂(たてずな)や斎砂(いみすな)と呼ばれます。



神代の昔、円錐形の神山に御祭神が最初に降臨したと伝わることから、上賀茂神社細殿前には白砂が二つの円錐形に盛られ「立て砂」や「盛砂」と呼ばれている。

上加茂神社の「二ノ鳥居」を入ると、細殿の前に一体の「立砂」があります。
上加茂神社の御神体山は神社の本殿北々西、約2㎞に聳える円錐形の秀峰「神山」(コウヤマ)(標高301メートル)で山頂には「降臨石」と称し、その昔、御祭神「加茂別雷神」が降臨せられた巨巖の磐座(イワクラ)があります。
実は「立砂」はこの麗しい「神山」をかたどったもので、一種の神籬(ヒモロギ)(神さまが降臨される憑代)なのです。
今でも鬼門や裏鬼門に砂を撒くのはこの立砂の信仰が起源といわれます。

奈良、平安時代には人々が家の戸口に塩を盛っていたというのです。
これは、塩が牛の好物であったため、前を通りかかった牛がなめにやってくると牛車に乗った高貴な人々も家に立ち寄るようになり、縁起がいいとされていたからです。
貴重で神聖な塩を家や敷地内に盛って置くことで、そのパワーが大地や家、さらにそこに住む人々に宿ると考えられていたのでしょう。

お砂踏み場
全部巡礼するのはたいへんですが、お砂踏み場でも全部回った功徳が頂けるとされる、西国三十三カ所や四国八十八ヶ所の霊場の砂(土)を一カ所で全部踏める場所のことです。

三春昭進堂代表 菓匠髙橋龍一



| ryuichi | 04:54 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩総鎮守 大元帥明王(現・田村大元神社)::大元帥明王社(田村大元神社) |