2011-09-30 Fri
先日、いわき市平に行く用事があったので、ついでにというわけではありませんが、平駅前にある「子鍬倉神社」に息子の合格祈願に参拝しました。神頼みというわけです。
子鍬倉神社の創建は、やはり大同年間(806~10)に勧請されたと伝わります。
また、延喜式神名帳に記載されている式内社です。
当時の磐城4郡の総鎮守として広く信仰されてきましたが江戸時代に入り社殿を焼失して以前の記録や社宝など失い詳細が不明となってしまいました。
祭神は宇迦御魂命で五穀豊穣を司り殖産興業や商売繁盛にも御利益があるそうです。
案内板によれば、古来平桜町(現在の磐城女子高校内)に鎮座したが、慶長7年(1602年)平城主鳥居忠政公が平城を築くに当たり社地を収め神社修復を怠り荒廃するに至った。
その後平城主内藤公は敬神の念篤く、由緒ある当神社の荒廃を嘆かれて現在の揚土台に社地を賜り復興させたのである。
しかし、天保2年4月(1831年)火災の為に神殿・古文書・神宝など殆どを焼失し、現在価値ある古文書・神宝などがないのが残念である。
その後、嘉永6年5月(1853)官民協力して社殿を復興させ、その当時のものとして現在の本殿と額殿(旧拝殿)が現存している。
と、ありました。
その後順次境内を整備し現在の拝殿・幣殿は昭和4年建築のものである。
例祭は新暦の4月18日に祭典が行われ、4月の最終土曜日・日曜日に神輿渡御が行われている。
1200年の歴史の中で盛衰の波はあったようで、平の領主が岩城氏から鳥居氏になってすたれ、内藤氏になって再興した。
御輿渡御も1687年に始まったが何度もとぎれたらしく、最近では上記の通り十数年前に復活したという。
子鍬倉という独特の名は他にはないとのことで、子はカイコつまり衣、鍬は農業つまり食、倉は住を意味し、すなわち子鍬倉で衣食住を表すということだそうです。
平の鎮守。
かつては磐城4郡の総鎮守
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