2012-06-26 Tue
岩代國白沢村五斗内「三輪大明神(三輪神社)」
ご覧のように、県道沿いの断崖絶壁のところに建立されています。
石造鳥居は本震災で崩れてしまいましたが、拝殿は無傷です。
境内には、庚申や十三夜の講中石碑に混ざって三輪大明神の本尊である石造大黒天もあります。
大黒天の信仰が一般に広まるようになったきっかけは大黒天と大国主命の習合によるといわれています。
これは、大国主命の大国と大黒の音が通じ合うことから、両者が同一視されるようになったことにもよりますが、初期仏教の天台宗や真言宗からの働きかけもあったと考えられます。
旧白沢村には寺院が四ヶ寺(金礼寺、岩角寺、観音寺、円福寺)ありますが、すべて天台宗の寺院です。
安達三十三観音
31番札所
天台宗高松山観音寺 馬頭観世音
白沢村糠沢字高松27
32番札所
天台宗白岩山金札寺 千手観世音
白沢村白岩字根岸386
33番札所
天台宗岩角山岩角寺 聖観世音
白沢村和田字東屋口84
調べた所によると、十四世紀に書かれたとされる「三輪大明神神縁起」によると、最澄の前に大黒天に姿を変えた三輪大明神が現われたとされ、三輪大明神は大国主命を祀っており、そこから大国主命=大黒天と伝えられてきました。
また、大黒天の信仰が広がると、台所の神様としての側面は、台所の中心となるカマドを守ってくれる神様ということで、カマド神の側面も持ち始め、大黒天が踏む米俵に象徴されるように、白沢村のような農村では田の神との役割もはたし、商家では商売繁盛の神様という役割もはたすようになります。
大神神社(おおみわじんじゃ)三輪さんと呼ばれる由来
ミシマノミゾクヒの娘のセヤダタラヒメ(勢夜陀多良比売)が美人であるという噂を耳にした大物主は、彼女に一目惚れした。セヤダタラヒメに何とか声をかけようと、大物主は赤い矢に姿を変え、セヤダタラヒメが用を足しに来る頃を見計らって川の上流から流れて行き、彼女の下を流れていくときに、ほと(陰所)を突いた。彼女がその矢を自分の部屋に持ち帰ると大物主は元の姿に戻り、二人は結ばれた。
こうして生れた子がヒメタタライスズヒメ(イスケヨリヒメ)で、後に神武天皇の后となった。
スエツミミ命の娘のイクタマヨリビメの前に突然立派な男が現われて、二人は結婚した。しかしイクタマヨリビメはそれからすぐに身篭ってしまった。
不審に思った父母が問いつめた所、イクタマヨリビメは、名前も知らない立派な男が夜毎にやって来ることを告白した。父母はその男の正体を知りたいと思い、糸巻きに巻いた麻糸を針に通し、針をその男の衣の裾に通すように教えた。翌朝、針につけた糸は戸の鍵穴から抜け出ており、糸をたどると三輪山の社まで続いていた。糸巻きには糸が3回りだけ残っていたので、「三輪」と呼ぶようになったという。
「日本書紀」参照
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