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三春物語729番「七夕」
梅雨特有の蒸し暑さが厳しい季節。
涼を求めて縁側に出れば朝顔の花に露がきらめき
笹の葉には短冊が揺れています。



夜になれば
空に現れる一筋の川。

一年に一度
その川を越えて出会う恋人たち。
今年は何を語るのでしょうか…。



三春では、七夕(旧暦)に「井戸さらえ」や「虫送り」を行う地域がありました。

大正時代までは、三春城下境担橋付近の八島川で、七夕は盆行事の一つとして「先祖を迎える準備として水辺で祓えをする」との謂れからでは、女性が黒
髪を荒い、子供が水浴びをしていたと伝えられています。
また、飼い牛をも泳がせたと伝わっています。

七夕に竹を川に流したり、畑に立てて虫除けにする信仰がありましたが、「笹
「竹」と祓えの呪具とされ、罪穢れを祓う竹。笹、竹は罪を浄化する力があります。


七夕は中国が発祥の地であることはよく知られています。
その中国大陸からの渡来人が日本の朝廷に伝えた七夕の儀式は、「乞巧奠」と言われるものでした。

「乞巧奠」とは、うまくなること、乞い願う儀式という意味です。
何をうまくなりたいか‥というと、暑さ寒さをしのぐためにも、着物を上手に織れるということは女性にとってとても大切なことでしたので、「機織りで上手に着物を織れますように」と、この儀式で織物の神様である織姫様に祈ります。

棚織神社(三春大神宮境内遷宮社)
三春大神宮境内にある棚織神社は、機神様とよばれ、信仰を集めています。
もともとは、三春織物関係者の勧請により、社殿を造成し、共同でその祭祀にあたっていました。

江戸秋田藩政時代、「三春織」という機を織っていた人々が、三春の機の繁栄を願い、機織の神様として「拷幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)」をまつったことが始まりと言われています。
その後、「棚織大明神」という名をいただき「棚織神社」と呼ばれるようになりました。
かつての三春糸偏産業(繊維産業)の盛んだった頃の名残を残す守り神です。  



| ryuichi | 05:54 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |