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三春物語740番「二十三夜月待講」
「二十三夜月待講」
 
月待講というのは、一般にある特定の月の出を待ってこれを拝する行事とされています。
月齢によって、十五夜から二十六夜までさまざまな月待が知られていますが、もっとも多く行われたのが二十三夜待です。

ほぼ全国的にみられるもので、月待といえば二十三夜待をさすといってもよいほどです。多くは地域ごとに「講」が組織され、神道や仏教などの影響を受けながら継承されてきました。



月待講と称される行事は、現在も各地で細々と行われていますが、その実態は産泰講や庚申講、念仏講などとの習合が顕著で、内容も地域の社交的な寄り合いに終始しています。したがって、本来の月の出を待つという形態はほとんどみられなくなりました。



太陰太陽暦では、基本的に毎月23日に月齢二十三近い月がめぐってきますので、三日月信仰などと同じように、もとは月ごとにこれを祭っていたものと考えられます。



ただ、各地の記録をみますと、正月・5月・7月・9月・11月という事例がほとんどです。これは月待に限ったことではありませんが、陰陽五行思想の影響で陽の数である奇数月が重んじられた結果と思われます。


月見の名所2三春大神宮

勢至菩薩は二十三夜待の主尊とされますが、中世の月待板碑には「二十三夜待」の文字は表れていません。近世に入ると、月待信仰は各地で隆盛期を迎えます。
月待板碑に代って、さまざまな形態の月待供養塔が造立されるようになり、月待自体も目的に応じて講が組織され、多様化が進展しました。


月見の名所1愛宕神社から見たお城山と地酒三春駒の蔵元佐藤酒造の蔵

このうち、十九夜待と二十二夜待では女人講による如意輪観音を主尊とした安産祈願の行事が主流をなし、二十三夜待の信仰とは一線を画した展開がみられます。
江戸では都市文化のなかでも11月の二十三夜待は「霜月三夜」としてよく知られています。


月見の名所3天澤寺の境内からお城山を望む

| ryuichi | 05:01 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春ノ信仰1 |