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鹿沼市光明寺「三春の梵鐘」
先日、鹿沼市古峰ヶ原にある「古峯神社」権禰宜横山さまにご来店いただきました。

少しお話をということでしたが、内容が興味をそそる事柄だったので、仕事も忘れつい長話になって今いました。
横山さま、申し訳ありませんでした。

その内容と云うのは、鹿沼市光明寺にある「三春の梵鐘」という梵鐘(釣鐘)の件でした。
横山様からのお話を元に、鹿沼市教育委員会の説明を見ると、この光明寺の梵鐘は、銘文に「奥州三春 遠山澤村 金剛院 役末流養信」や「奉納金剛山」とあり、寺では「三春の鐘」とも呼ばれているそうです。
本来は、天保3年(1832)に遠山澤村(現 福島県田村市船引町)の金剛院とその修験の“金剛山講”中により古峯原金剛山に奉納されたものとされています。
梵鐘には、遠山澤村の養信を願主、庄屋の柴原栄三郎を勧進元として、世話人11人により、田村郡内の村々を主とした30ヵ村87人、および講中2、寺院・坊7を加えた名前が、池の間と縦帯に陽鋳あるいは陰刻されているとありました。



早速休日の朝、芦沢遠山沢付近の探索と相成りました。



まず、芦沢高梨子の石碑群・・・ありました「金剛山」の石碑



そして、遠山沢の寺内石碑群・・・・ありました「金剛山」



探せばあるもんです。
金剛山・・・・見逃していました。



さらに、芦沢「曹洞宗 龍泉寺」・・・・ありました「金剛山」



尚、 「三春の梵鐘」が、古峯ヶ原様から、光明寺に移ったいきさつについては、昭和17年の金属類回収令によって従来の梵鐘を失った光明寺が、本梵鐘を受け継いだとされています。
三春の講中による梵鐘の寄進は、江戸時代の古峯原金剛山の東北地方の修験の活動と分布を示す貴重な資料とされているとのことでした。

「梵鐘」・・・・?
上記しましたが、太平洋戦争勃発後、金属不足を補うために出された「金属回収令」に伴って全国の寺社仏閣から梵鐘が供出されて以来、三春の地にも鐘楼はありますが“梵鐘は無し”というのが普通でしたので、梵鐘から歴史を手繰るというのはすっかり抜けていた事柄でしたので、大変に興味をそそられました。

現在“火伏の神様”として全国から参拝者が後を絶たない“古峰ヶ原さま”と親しまれている「古峯神社」
私も、三春町消防団の一員でしたので、何度か参拝したことがあります。

この古峯神社は、かつては金剛山とも呼ばれ、修験道の一大修行道場でした。
大芦川の源流に近い緑なす渓間、優美を醸す山麗に鎮まる古峯神社はご祭神に日本武尊をいただく由緒深い神社です。
・・・・古峯神社を中心とする古峯ヶ原は日光全山26院80坊の僧たちが、修行に励む霊地となり、明治の初めの神仏分離令で現在の古峯神社となりました。
・・・・古峯神社ホームページより

山岳信仰と修験道

修験道の開祖と言われている役行者(役小角)(えんのおづぬ)はこの金剛・葛城山系にて修行され、全国に広めていかれました。

平安時代になると修行者はさらに増え、空海の導きによる密教系の人々も山岳修行にはげみ、各地に伝説を残されています。
平安時代の末期になると、修験道は密教や道教、陰陽道の要素をも取り入れ独特のものとして完成していきます。

山伏とは、まさに山野に伏して修行し、呪術的験力を獲得した者のことで、中世以降になると役行者は修験道の開祖と仰がれるようになり、役行者1100年の御遠忌を迎えた寛政8(1799)年には「神変大菩薩」の諡号を授与され、現在に至るまで篤く尊崇されてきました。

三春の修験についてはこちらをクリックください



龍泉寺・・・同じ龍の付くお寺さんでしたので興味があったのですが、今回初めてお邪魔しました。
田村三十三観音第二十一番千手観音をご本尊としています。



禅寺らしく綺麗に整備され、当に龍の口から湧きです泉の力によって心が洗われかの如く、清々しい居心地のいいお寺さんです。



また、宇内奥に鎮座する”瑠璃光薬師如来”を安置する「大風薬師堂」




この建築美!
しばし見とれてしまいました。



龍泉寺の扁額です。
この”龍”の字!素晴らしいです。

| ryuichi | 05:50 | comments (x) | trackback (x) | 🌸田村庄六十六郷 |