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「三春と明治維新」三春町異業種交流会講演
三春町異業種交流会さまからのお招きを受けまして、「三春の明治維新」と題しまして、歴史のお話をしてきました。




三春異業種交流会            

                 H25.7.23(火)於三春城下大藤屋

「三春の明治維新」          三春昭進堂主人 髙橋龍一

1. はじめに

・私が“三春の歴史”に興味を持ったわけ・・・会津史観教師による三春卑下
勝者・大勢側からみた偏った歴史認識に疑問・・・左翼思想や偏った宗教観はありません

・父など、三春在の年配の方々の三春歴史離れ



・河北新報三春支局長影山常次氏と初代三春写真館館主遠藤祐四郎氏・・「三春名所案内」作成
大正十四年発行・有料の三春観光パンフレット(写真集)・・・・三春の歴史復活・・・観光資源としての歴史観・・・三春に自信を持て!
寺社仏閣・学校・会社・盆踊り・遊郭・・・商店の広告入り



2.歴代三春城主の不思議~教科書には載らない歴史~
・戦国田村家・・・田村麻呂の末裔・平氏田村一族(南朝田村庄司一族とは異)
・田村麻呂・大和民族(渡来人末の父とアイヌ末の母から生まれた身長6尺のハーフ)
・伊達政宗正室愛姫の実家
         豊臣秀吉による奥羽仕置きにより伊達藩に合弁吸収
・第一回三春まつり「戦国合戦絵巻」
伊達派・・清顕生母実家・・愛姫嫁ぎ先政略結婚
相馬派・・清顕夫人実家・・・反伊達家
伊達派勝利するも伊達家に召し抱えの田村家家臣二十家以外は他藩召し抱えか帰農

・秋田家安倍安東家・・・大和朝廷とは別の渡来人の末裔
アテルイ末(安日王)アイヌ民族の長・・・「東日流外三郡誌」
前九年の役・後三年の役・・・源義家により秋田以北に移住
その一派は、西国に退避・・・安倍晋三総理大臣の先祖・・安倍水軍

平安末から鎌倉期、蝦夷探題・樺太から東南アジア・インドからペルシャ湾等々(地中海沿岸説も)にペルシャ湾沿岸まで出張・補給を兼ねた寄港地を設営し、日本人街を形成
海外と貿易・・・
“青森ヒバ”耐水性の高い木材・・・地中海イベリア島のフェニキュア人{海の民}
倭寇(海賊からの輸送船警備や運搬業を生業とする武装集団)と呼ばれる。

エルサレムの~の丘・ジパングの原型が記載された石碑(十字軍の頃11~14世紀初頭)
マルコポーロ「東方見聞録」にある黄金国“ジパング”
鎌倉初期・・本拠地十三湊が、大地震による大津波にて一夜にして壊滅(近年発掘証明)
・・・・奥州藤原黄金文化

東南アジア沿岸や中国・九州地方の安倍・安東水軍が残存
和船・青森ヒバ(水をはじく)の船・・・蒙古来襲・元寇で元(モンゴル)、高麗(古代朝鮮)連合の艦船撃退(神風伝説)
鎌倉幕府としては表に出したくない・・・記録「東鏡」には無記載
室町幕府・江戸幕府―水軍は強力な戦力―隠しておきたい



*三春城下の町内会・自治運営
江戸期の秋田藩政三春城下の士分以外の町内会運営は通常、上層町人の代表である惣年寄、町年寄、検断などによって担われていました。

町検断役所において評議して城下町内の最終意志決定を行い、町会所を中心として町内会による自治運営をしていたと考えられています。

秋田氏の城下奥州三春では近世後期のお内、総鎮守太元帥明王祭礼から検討すると、町奉行- 惣年寄・月行事- 町役人- 平町人という伝達経路が確認できます。

このような体制は、秋田氏入部以降の江戸中期に形成されたと考えられます。

町会所は、この月行事の発議と、町人の負担によって成立しています。
そこには月行事層=三春城下の年寄による都市運営の成長と業務の多様化が反映しています。


3.明治維新とは
・徳川幕府300年の終焉・・・吉宗や松平定守などの改革だけでは間に合わない事情
幕末ペリー来航~ 将軍継嗣問題・安政の大獄・公武合体と尊攘運動
再訪してきたペリーに対して、幕府から“天皇の許可を貰わないと開国できない”と云ったことから幕末は始まる。
老中筆頭阿部正弘は、この難局の打開策を広く求め、なんと各大名から旗本、さらには庶民に至るまで意見を募集。これまで、外交のことは幕府が独断で決めていたにもかかわらず、政治的に大きな転換を行います。
しかし、名案は出ることなく、かえって幕府の威信低下を招く結果となります。
それまで大名以下民衆の殆どが、徳川幕府以外の統治者(大和朝廷と天皇は忘れさられていた)の存在を知らなかった。
天皇は洛内(京都)や大和地方の一信仰の対象・・・江戸幕府が規定・・自ら犯す

開国・不平等な通商貿易
・米価本位の経済の破たん・欧米各国の脅威・飢饉
金・絹など西洋と貿易・・・金が安、銀が高・・欧米とのかけ離れ
金銀の交換比率は,日本では1:5,世界市場では1:15
外国商人は洋銀を日本に持ち込み,国内比価で金と交換し,暴利を貪った

輸出急増のため,国内は品不足 → 国内物価高騰物・・・・民衆の爆発・打ちこわしや一揆の続発、“ええじゃないか”

薩摩藩や長州藩などの西国諸藩・・・地場産業の開発や密貿易により現金収入
地場産業振興・輸送・・・北前船・
密貿易・・・・出島や沖縄・竹島・尖閣諸島等々
浜田藩・棚倉更迭・・ヤシの実でサッカー目付(スパイ)間宮林蔵に見つかる

・「忠臣蔵」赤穂浪士の軍資金・・・塩売買・・・大量生産・遠方への輸送可能
・・・・・莫大な利益
・「桜田門外の変」水戸浪士・・・こんにゃく農家から献金・・少ない
こんにゃく・・・長持ちしない江戸へ船で輸送

・江戸城下水運の管理・彦根藩 運用税の値上げ~利益減少
・勤王と佐幕
大日本史編纂水戸光圀と水戸史観
・戊辰戦争の戦意・・・江戸幕府に経済政策の破たん・・各藩とも借財の山
戦争どころではない・・・・下級武士やそれ以外が主力・・奇兵隊や幕府歩兵
その前の戦争と云えば約200年前の島原の乱・・・武士の事務員化



4.戊辰戦争と三春
・八重の桜から「会津藩と三春藩」の関係 同等
会津への道案内・・猪苗代・中山・熱海、湖南などの農民が率先して西軍を誘導
―会津防衛の戦略により、宿場や村々が焼き払われるー武士に対する恨み
三春藩の協力・荷駄運搬のみ

・徳川幕府・・主従関係あり・・・幕府恭順・瓦解・・戦いの名分がない
新政府軍・薩摩長州を中心とする西国諸藩は、振り上げたこぶしの落としどころとして会津をロックオン
勝海舟の策略・・武士階級ではない新撰組残党や旧幕府歩兵の江戸から追放、
旧幕臣大番組で組織する遊撃隊や請西藩など佐幕諸藩は、箱根迎撃失敗後、上野のお山の籠城そして会津へ
旧幕臣榎本武揚率いる旧幕府艦隊(旗艦開陽丸以下、回天、翔鶴、蟠龍)は静観、後残存艦蝦夷へ

・三春狐に騙された・新発田狐・米沢狐・仙台キツネ
鶴ヶ城落城後、会津藩士は青森斗南藩に事実上の流刑に処せられます。
しかしそれを不服としていた佐川官兵衛などは、警視庁が募集した不平士族鎮圧のための入庁し、西南戦争などで活躍しました。
また、藩籍を返納して武士を捨て農民になった者は、坂下や喜多方、柳津で帰農していましたが、日清戦争後位から若松城下に再度住むようになります。

このころ三春は大変に景気が良い時期が訪れていました。
河野広中など貴族院(後の参議院)議員から農水大臣、さらには、貴族院議長にまで上り詰めていました。
・・・これへの嫉妬と斗南移住の会津藩士や二本松藩士への怒りの矛先を他に向けるため意図して“風説の流布”を執行した。



・最後執政秋田静臥と大原家(薩摩藩)
・土佐藩と河野広道・広中
・三春藩銃砲組・・・熊田嘉膳 水戸藩砲銃鋳造師範、後会津や相馬藩に出向
・・・・・・・・・町田貢 砲術指南役・幕府講武所調練指揮役。門人千人

藩 名     石高 施条砲  大砲総数  後装銃数  旧式前装銃数   小銃総数
三春(秋田家)    5.0   0     3     86       400     486  
二本松(丹羽家)  10.1    2    12      0       60      60
仙台 伊達家   62.6   0    84    533      5,727     6,260
米沢 上杉家  15.0     0    18     60      900     960

当時の知識階級・・内戦の不利(欧米による日本侵略の足掛かり回避)
戦争回避を提唱、会津藩京都守護職“薪を背負って、渦中に飛び込む”が如くの愚挙
長岡藩家老河井継之助・武装中立(スイス王国)



5、廃藩置県と廃仏毀釈
・国立第九十三国立銀行(後の三春銀行株式会社)
旧士族救済・・・士族席の株式化・・配当金で生活費を捻出
貨幣価値のわからない士族達は、株式を手放し三春を去る・・

・首のない地蔵・・・黒禰宜飛田氏を筆頭に神道過激派
・神道・神社の確立・・・各字鎮守の制定(明治後期の日露戦争戦勝祈願)
旧三春総鎮守大元帥明王・・・国常立命・・・・・・・田村大元神社
旧三春藩社神明宮・・・・・・天照大神・・・・・・・三春大神宮
修験愛宕権現・・・・・・・・愛宕権現将軍地蔵尊・・愛宕神社
天満宮・・・北野神社
熊野権現信仰王子権現(八王子権現?)・・・王子神社(houji)・・渡来人伝説
ハングル語以前(室町末期に清朝により征服)の古代朝鮮語
牛頭天皇・・・八雲神社
八幡宮・・・源義家が石清水八幡宮で元服し八幡太郎と称したことから、源氏の氏神



田村家初代義顕の創設した大元帥明王社(現田村大元神社)に末社・・秋田家代に城外である現地に移転
源氏は、秋田家の祖安倍安東の敵将
・修験道の廃止・廃寺・・三春物見遊山参照
・祭礼に見る明治維新・・旧三春藩総鎮守大元帥明王(現田村大元神社)から三春大神宮(旧三春藩社神明宮)・歴史的見解から青白天狗の面と衣装の返還
・神祇院・国弊社管理・太平洋戦争終結まで国有地・・・
天皇を中心とした帝国国家の統制下・・・国家神道により国家権力服従、聖戦の完遂、神州日本の不滅
太平洋戦争終結後、占領軍GHQの命令により国弊社の解体、神社域の各市町村へ、そして各字(一部宗教法人化)へ移管

・社会党・・農地解放



6.まとめ
・三春に生まれたこと・住んでいることに誇りと自信を持つ
・三春と云う名前は全国区
・三春昭進堂HP・菓子の宣伝は5パーセント
三春昭進堂やおたりまんじゅうを全国ブランドにするのは気が遠くなるような労力が必要だが、三春と云う名前は全国ブランド・・滝桜は三春で一番の営業マン
・全国の経営者や文部科学省職員や教育委員会の方々との話に話題を提供できる。
・小さな城下町のアピール



滝桜は、猪苗代や裏磐梯と同一の福島県の滝桜
猪苗代湖を猪苗代町のもの郡山市のものと見ないような感覚です。
城下町三春の観光資源・寺社仏閣(様々な宗教観と云う観点から)はあくまで点。
その点を結びつける核となるのは、過去の偶像展示の歴史民俗資料館ではなく、城下町の城下町たるゆえんの原点であるお城です。
そうです、三春舞鶴城です。
城下町の誇り!


| ryuichi | 05:35 | comments (x) | trackback (x) | 🌸菓匠蒼龍 心洗洞刹記::地域貢献 歴史講話 |