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平成25年度「沢石盆踊り大会」主催 朋友会
平成25年度「沢石盆踊り大会」大懸賞付き    主催 朋友会



花火大会 子供ゲームなどイベント盛りだくさんです。
特に花火大会は、見る者を圧巻します。


期日 八月十四日 雨天決行
    
    午後5時より・・・・・子供ゲーム
    午後6時30分・・・ 盆踊り大会
    午後8時ごろより・・花火大会

場所 三春町立沢石中学校校庭(雨天時 沢石中学校体育館)


 昨年の盆踊りの様子 ユーチューブに投稿されていました。

三春四十七舘の北方の要。
富沢城と呼ばれた富沢館(富沢字聖楽)や富沢古館(富沢字松ヶ作)
北方与力五十騎を統括する富沢伊賀守が護っていました。    

この舘は、戦国期、三春田村氏は、同じ仙道地域の小豪族である、会津葦名、二本松畠山義継、須賀川二階堂、そして小浜城の大内定綱らも反田村氏となったため、四方を敵に囲まれることとなります。
それに対する備える三春領の中でも最重要拠点とみえて、戦国期の田村領で五十騎以上、足軽百名以上の与力侍が常駐した舘は、10舘位だと記録されていますが、その中でも最大規模といわれています。



城主は、時代ごとに、富沢玄蕃、富沢伊賀、さらに、田村重臣橋本刑部少輔を大将として天正十二年に勃発した「初森の合戦」時には、田村勢の負け戦となった際に、敵将小浜城主大内定綱に生け捕りにされた富沢式部の名前があります。
 富沢伊賀は、富沢衆と呼ばれた「北方与力五十騎」の大将として戦国末期まで三春の北方を守護していました。

後に、田村家中が伊達派と相馬派に分裂した時に、富沢一族は、相馬派筆頭の小野保・小野城主田村梅雪斎に組し、小野城城代衆(三十六騎衆)と小野城下に移住します。

富沢氏移籍後は、実沢館( 実沢字開宝山)、実沢新館(実沢字館腰)主の佐久間氏が北方警備を司ります。



| ryuichi | 05:11 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村 |