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「酒も煙草も遊びもやらず、それで百まで生きる馬鹿」


先日、祖父母の回忌の追善法要でお寺に伺いました。

旧知の方の訃報に接したせいでしょうか、様々なことが脳裏を過りました。

故人の人生を思い起こしながら、和尚様のお経を拝聴していますと、生きていることの意味などと云う大それたことではありませんが、人の”生き様”、そして”死に様”を考えてしまいます。

古い狂歌に、
「酒も煙草も遊びもやらず、それで百まで生きる馬鹿」
と云う洒落た歌があります。
これは何も、飲酒と喫煙、そして遊びを“人生の楽しみ・生甲斐”に例えて、楽しみを捨てて長生きしなさいと言っているわけではありませんよ。

生きている間は、人生を楽しんで、養生して人生を全うすることを示唆しているのでしょう。

仏教でいうところの百八つあるという人の煩悩を全て無くせば佛になれる。
つまり、あの世に行けると云うことなのでしょう。

また、佛の教えを説いた様々な経典の中には、煩悩を捨てて佛になる方法がたくさん書かれていますが、人は楽しみをはじめとする“喜怒哀楽”そして“四苦八苦”があって初めて生きていることが出来るのではないでしょうか。
それがなくては、この世に生まれ、この世に生きている意味がありませんね・・・。



天澤寺大書院床の間に掲げられていた「自由自適」と揮毫された掛け軸です。

自由自適
「自由」とは、本来は欲望からの解脱を意味みする禅に由来します。
禅で云うところの、一切の欲を捨て去り自らを由とする。
つまり何ものにも囚われない心をさしています。

自適とは、他の事に心をわずらわされず、気のおもむくままに、のんびりと暮らすこと。
自由自適とは、自らを由として自分に適した生き方をするということなんだろうと思います。

この世知がない昨今、「自由」「自適」と聞けば、私たちは「思うまま、気まま」、「欲望の赴くまま生きる」ことと同義であると受け取られがちですが、実はその逆で、一切の欲望を排して、何事にも囚われない心の素直な生き方をさしています。
このような生き方に憧れます。

しかし、人が人としてい生きるという人生には、どうしようもない現実があります。
悲しみとか苦しみ、自分にとって嫌なこと、気にして心に引っかかっていることなどは、誰もが持っているものです。
また、分からない感じが多くて、ところどころで、立ち止まってしまったり、理解できないところもあります。

それでも人間は生きていかなくてはならないものです。
そんな時、人は生きる意味を自力で探さなければ生きていけません。


”何を生きがいにしてるの?”
”何を楽しみにいきてるの?”
と聞かれます。

皆、一様に今までじっくりとこのことについて考えたことはないのではないでしょうか?
だからといって趣味を生きがいにするのも難しい。

人は、生活のため、生きるたと云えばそれまでですが、働くことで人は“やりがい”や“生きがい”を感じられるんではないでしょうか。

「何でもないような日常の事柄を幸せと云う」と聞いたことがあります。
健康で、家族が集い、仕事をして、美味しいものを食べる。
また、親しい友人と、楽しく酒を呑む。
バカ話しながら、ゲラゲラ笑いながら、大声で騒ぎながら・・楽しく呑む。
そんなありふれた日常の中に、幸せがあるんでしょう。

不器用で、馬鹿で、泥まみれで、必死で、突っ張っていて、弱くて、ダサくて、嘘つきで、美しくて・・・
 生きるってこれでいいんでなないか?
人生とは、そう云うことなんですよね?

・・・・そんなこと考えていました。



近頃、ストレスと云うんですか?横文字の心理事象がはびこり、理論や肩書きの鎧で身を固めその重さで身動きが取れずに苦しんで心の病を持つ方が多いように感じます。
そんな役にも立たない鎧なら脱ぎ捨てたまま忘れてしまうと楽なんだから、早く鎧を脱げばいいと思いますが‥。

たかだじゅんじのCM「人生後半戦が面白い!」ではありませんが、これからの人生を少しでも楽しく、悔いの無いように納得の行くまで生きていきたい・・・そんなことを考えるようになっていました。
人生の後半戦。
ますます人生を謳歌するか、年齢と共に徐々に坂を下りはじめ「落ち目」を迎えるか・・・
これは、後半戦を自分の足跡を見ながら惰性で生きるか、新しい人生の価値観を探し求めるかが、その分岐点になるのではないでしょうか?




そして、日々成長を目指していくこと。
所謂ところの「自分探し」と云うこと・・
それは、今日の自分は昨日の自分より確実に経験を豊富にし、学び成長したという実感の持てる日々を過ごしていくことでしょう。

また、幕末の長州藩士 高杉晋作の辞世の句に「おもしろき こともなき世を おもしろく」という詩があります。
世とまではいかなくても、自分自身の人生、日々の生活がおもしろくないのなら、それを自らが面白くしてやろう。
自らが楽しんでやろう。
・・という想い。

さらには、「今の自分でいいんだ」と自分を受け入れ、「日々是吉日」として一日一日を自分なりに懸命に生きようと努力する、ことが必要だと思います。



人間は、生まれつき人間ではなく人間との交わりのなかで、人間として育てられ成長していくものです。

そんな時に頭に浮ぶ歌がこの「今日まで・・・」です。
相手を知る事より己を知る事に重点を置き、己を知る事で相手を見極めるこの一節は、やはり言いえて妙な先人の知恵なんだと感心させられました。

私は今日まで生きてみました 

私は今日まで生きてみました

 私は今日まで生きてみました

私は今日まで生きてみました

私は今日まで生きてみました

そして今 私は思っています 
明日からも こうして生きて行くだろうと・・・


三春昭進堂代表 髙橋龍一

 

| ryuichi | 06:48 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |