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三春物語751番「戦国大名三春城主三春田村家家臣団吉田氏」
室町末期の所謂戦国時代の三春城主三春田村家の家臣団吉田氏

三春田村氏初代田村義顕の頃に書かれた「田村家城代一覧」(年不詳)には、
向館(むかいだて)・郡山市中田町木目沢五斗蒔田・吉田和泉守居館跡。
と出てきますが、天正騒動後に、田村家から伊達家に召し抱えられた家臣28家の名簿には吉田姓はありません。

また、田村家家臣で伊達家召し抱えの田村家御家門方坂ノ上田母神玄蕃頭が天正十五年に記した「田母神氏旧記」(田村仕置き直前の田村家臣録)に記されている、名簿にも吉田姓は見当たりません。



これはあくまで、私個人の推測の域を脱しませんが、
天正十四年(1586)十月九日、田村清顕が、嫡子のないまま卒すると、伊達氏を頼ろうとする家臣と相馬氏を頼ろうとする家臣の間で抗争となった所謂「三春天正騒動」
この時、相馬派家臣筆頭の田村右馬頭顕基入道梅雪斎、田村右衛門大夫清康を中心とする相馬派家臣が三春城を出て田村右馬頭清通の小野城(田村郡小野町)に入城します。
この際の、名簿に下記の吉田姓家臣が見えます。

小野保(田村郡小野町)・小野三万石城主
 田村家御一門 田村右馬頭清通(田村右馬頭顕基入道梅雪斎長男)
小野城下衆
吉田越後守信綱
吉田将監 包貴
のお名前が見えます。

また、小野城代衆(小野保三十六騎衆)
吉田躑躅 直寛
吉田石見守信弘
吉田宮内少輔赴(元)久
吉田入道 直寛
吉田和泉守光広

この吉田氏についての確証はありませんが、伊達家召し抱えに二十余家以外の田村家旧臣は、伊達派の残存家臣は先祖伝来のその地で帰農を許されますが、相馬派の旧臣方の分家の一部はそのままの地で帰農を許されますが、本家総領家は領地追放の憂き目にあい、他家へ召し抱えや、他の地域で帰農しています。
尚、旧田村領で、現在田村市になっている旧都路村には、旧田村家家臣の末裔とする吉田姓が多くあります。
この都路村は、田村領の中でも相馬領に近く、隣接の葛尾村(現双葉郡)田村領内でも治外法権的な要素を持った地域で、田村家旧臣が多数移住して開墾していたのではないかと考えられます。



農兵分離以前の戦国期ですので、吉田氏の元々の居舘が、現郡山市中田町木目沢五斗蒔田の「向舘」そして、所領もその周辺と考えられます。
しかし、「天正騒動」では相馬派の小野保小野城主田村梅雪斎に組した為に、梅雪一派と共に小野保へ移住したのではと考えられます。


三春町史7(自然・原始・古代・中世資料)参照



三春昭進堂 髙橋龍一


| ryuichi | 05:45 | comments (x) | trackback (x) | 🌸戦国大名 三春田村氏::御春輩(みはるのともがら) 田村武士衆 |