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奥会津只見「河井継之助記念館」


”世界で最も美しい村”に認定された只見町にある「河井継之助記念館」です。

幕末、越後長岡(現新潟県長岡市)の非門別家老で”戊辰戦争”に際して、長岡藩軍事総督として長岡藩を率いて戦いました。
画像は、当時世界で3基しかなかった「ガットリング砲」と河井の銅像です。



何故只見町に長岡藩の家老の記念館?と不思議に思うかもしれませんが、薩長等の西軍との戦いで奪われた長岡城を再度奪い返すなど、戊辰戦争電の最大の激闘を繰り返し、約半年間にわたり善戦しましたが、自身も銃弾の倒れ大けがを負い、長岡藩の敗走となり、長岡から栃尾経由で”八十里峠越”を超えて会津若松を目指す途中、この只見の塩沢の医師,矢沢宗益宅で亡くなりました。



追撃する西軍が迫る中、死を悟り、河井は下僕の松蔵に棺桶と薪を用意させ「自分の亡骸を西軍に渡して成らぬ・・・」と云い残し、燃え上がる薪を観ながら息を引き取ったと司馬遼太郎の著書「峠」では締めくくられています。



火葬された河井の遺骨は、大きな部分は松蔵が会津へ運び埋葬され、後に長岡の河井家の菩提寺栄涼寺に改葬されます。
拾い残した遺骨は、村人が現記念館の東手にある医王寺に埋葬され、毎年命日の8月16日には慰霊の墓前祭が開催されています。



私と河井継之助との出会いは約40年くらい前のNHK大河ドラマ「花神」の中に登場した髙橋秀樹さんの演じる河井が最初でした。
子供ながらに、田舎の小さな大名、それも一代限りの家老が、永世中立を称え「会津と薩長の仲立ちをして平和解決を目指す」という壮大な夢に感銘を受け、さらに平和解決が無理となるや当時世界レベルの軍事力にまで仕上げた長岡藩を率いて、徹底的に戦うと・・・これがが始まりです。

それから、10年後カネサン書店で司馬遼太郎の「峠」上下巻に出会って衝撃を受けたことを覚えています。



この只見の記念館とは、こんな立派な記念館が出来る、30年位前にバイクで初めてお邪魔したのが最初でした。

その時は、まだ矢沢さんの子孫である強面のおじいさんが細々と個人記念館として開館していました。
看板もお手製と思われるような粗末なものでしたが、河井継之助館主である矢沢さんの熱い想いには感服したことが思い出されます。



当時、遺品や説明のパネルが並ぶその終焉の間d、小説「峠」の中に在る河井の終焉の場面で、矢沢宅の隠居で、天上を眺めていた・・・涙が一筋~という下りを思い出し、ちょっと横になったらそのまま寝てしまい、矢沢さんに夕食をごちそうになった事が懐かしく思い出されます。




以来、時折お邪魔していますが、平成3年にこの記念館がオープン、そして平成20年にリニューアルして現在に至るです。

当店のチラシ「塵壺」も、「菓匠蒼龍」も、さらにペンネーム蒼龍も、この河井継之助からというのは言うまでもありません。



記念館内にある司馬遼太郎ブースです。



三春昭進堂 髙橋龍一



| ryuichi | 05:30 | comments (x) | trackback (x) | 蒼龍窟 河井継之助 |