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塵壺11月号戦国大名三春城主田村氏領内総鎮守「高木神社」 旧帝爵天皇宮・鶏足山豊前寺 「大御神(義良親王・後の後村上天皇)の徳實恩澤の利益を感謝する」


戦国大名三春城主田村氏領内総鎮守「高木神社」 旧帝爵天皇宮・鶏足山豊前寺

「大御神(義良親王・後の後村上天皇)の徳實恩澤の利益を感謝する」

先の、十一月三日、三春北部旧三春領田村ノ庄、実沢の鎮守「高木神社」では、豊作を神様に感謝する秋祭りが挙行され、岩崎宮司はじめ、各地区の総代や宮世話、氏子青年会、三匹獅子保存会、そして子供神輿会の方々が奉仕されていました。
高木神社の歴史は古く、社伝によれば、「奈良時代末の桓武天皇御代・延暦年間中、坂上田村麻呂が東国を鎮圧して斎き奉ると言う」と記載され、田村麻呂の東征祈願に由来しています。



平安時代初頭の大同二年、開山に徳一大師を招いて、霊域"高野ヶ岡"に小祠を建立し、高木神勝軍地蔵の二社を勧請します。
さらに「鶏足山豊前寺」を建立して、高野郷の鎮守としたとされています。
時代は下って鎌倉時代末の南北朝期、南朝方の義良親王(後の後村上天皇)を奉じた奥州鎮守府将軍北畠陸奥守顕家公が白河結城氏と共に多賀国府へ下向の際、"村司・佐久間右京太夫が村人を集めて、御仮屋造営にて郷食を奉じます。
 その際、義良親王は、御礼として御宸筆の御歌を下さり、以後この御歌を祭神として祀り、御宮社を「帝爵天皇宮」としています。
時代と共にその神徳は継承され、戦国期南北朝動乱の初頭に戦国大名として勢力を広げていた平姓三春田村氏の信仰厚く、奥州田村ノ庄の総鎮守として領内の崇敬を集めたとされています。



江戸期の秋田藩政下でも、実沢村鎮守として継承されていましたが、明治維新後の廃仏毀釈で、高木神勝軍地蔵尊は、同じ実沢の金剛山瑞祥寺へ移し、新たに、高皇産霊命(高木神)を祭神として實澤村鎮守"高木神社"と改称されます。
尚、詳細は、高木神社拝殿内の欅一枚板に書かれた「高木神社由緒・社掌岩崎嘉門・明治三十五年各神社由緒調査書(旧沢石村役場)」を参照ください。

社宝としては、南北朝時代の貞治元年(1362年)三春平姓田村右京太夫輝定公が寄進・奉納した大陸渡来の「華鬘」や「胡州鏡」、田村隆顕公の寄進した「金銅透彫寶相華文一対二面」、田村清顕公の奉納した「金銅透彫蓮華文一面」、「鑼等」の仏具や鰐口(亡失)などがあり、県内有数の中世金工品として町の重要文化財に指定されています。



また、社殿に施された彫刻は稀に見る力作揃いで、拝殿外壁の欄間にはめ込まれた明治期の彫り物は、"日清・日露戦争や昭和初期の日独(第一次大戦)そして大東亜戦争での「武運長久」を祈念して奉納されたものです。
拝殿内にも、大東亜戦争時に奉納された軍艦の絵馬が飾られてあります。

実沢には、戦国時代・三春田村氏の出城、所謂"田村四十八舘"の一つ、北方守護・実沢館があり、田村氏が戦国時代を乗り切るために、最も信頼する最強の精鋭部隊“佐久間一族”を北方守護として配置し、城主実沢山城守が治めていました。
後に、北方守護は富沢舘の富沢氏となりますが、実沢は佐久間氏が村司として治めたと伝えられています。



今回、記事を書くにあたっては、菊川屋に勤務の宮世話佐久間盛一様や島屋商店様にも、ご協力を頂きました。
この島屋さんは、先代の社長佐久間島久さんが当方の祖父の弟子という関係で、親戚以上のお付き合いをさせていただいています。
そんな関係もあり沢石は私にはより近くに感じる地区でもあります。

この沢石という地区は、旧三春藩秋田氏領の実沢、青石(旧塩松(四本松)城主石橋氏領)、そして旧三春秋田家の分家・旗本秋田氏所領の富沢の三地区で行政区となっています。

地名である実沢の由来として、
「大御神(義良親王・後の後村上天皇)の徳實恩澤の利益を感謝する」
の意味を込めて實澤(実沢)としたと伝えられ、毎年この由来のとおり、徳實恩澤によって、五穀豊穣と世界平和があることへの、祈願と感謝で、村人総出の春秋の祭礼が挙行されています。

  
    蒼龍謹白   さすけねぇぞい三春!   拝


| ryuichi | 04:22 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |