CALENDAR
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31       
<<  2024 - 03  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




三春物語906番「’27田村大元神社春季祭礼」


平成27年度「旧三春藩領内総鎮守大元帥明王社」・田村大元神社春季祭礼




平成27年4月28日、桜の花も散り、花見も一段落し火曜日、当店の三週間ぶりとなる定休日に、田村大元神社の春季例大祭が開催され、私にも、総代世話人会という肩書で招待状が届きましたので、参列すべく喜び勇んで出かけた次第です。

昨年秋の「平成26年田村大元神社秋季祭礼」に続いての参列となりました。

参列者は、田母野宮司、田母野禰宜、現役総代一同、新規総代一同、総代OB、字委員一同、秋葉講中会長、三春大神宮新町総代、交通安全協会長、と総代世話人会、三春町議会議長・・・





戦国期の三春城”三の丸”とする大元帥明王社(泰平寺・学頭坊)にて、伊達政宗が宴席を設け、田村家当主以下、重臣達一堂に会し各種祈願をし、田村家の安泰を願います。

当かとも云われる伊達政宗の三春滞在はこの大元帥明王社を宿所として、田村家中の殆どが御目通りを願いに訪れたと記録されています。

また、時代は下がって江戸期の統治者である日ノ本将軍秋田公のお歴々の殿さまが、祭事を執り行った・・

等々を考えますと、感慨深いものが在ります。





戦国時代からの歴史の中で、脈々と繰り広げられてきたであろう、この場所で挙行される祭祀に参列させていただくたびに、厳粛な雰囲気の中で、神々しさというものを感じます。

また、時代とともに、社や祭祀は遍歴を重ねて来ただろうに、歴史の息づかいを肌で感じます。





戦国武将、三春城主田村義顕候は、三春入府の際、永正元(1504)年、守山山中(現在の郡山市田村町)領内総鎮守としてこの「大元帥明王」を移築を手始めに、田村庄の領国基盤整備に取り掛かります。




しかし、戦国と云われるこの時代、三春の周辺にはも群雄割拠、伊達伊達氏、二本松大内氏、会津蘆名氏、相双相馬氏、北茨城佐竹氏、磐城岩城氏などの戦国大名がひしめき合い、この田村領も周辺諸大名から度々侵攻がありまさに「四面楚歌」の状態でした。

また、田村家の組織上でも、御多分に漏れず、”第六天魔王”~織田信長以前の中世的な全国の武将は、農兵分離が出来ておらず、それぞれの家臣がそれぞれ先祖伝来の領地をもち、城主といえど家中掌握が弱かったと考えられます。

そのために、度々周辺の武将から調略を受け、家名存続・自領安堵の為に、独立性の強い在地領主層の抵抗・離反が度々起こっていたと考えられています。





三春田村氏初代義顕候の長男、隆顕候は、伊達氏当主稙宗候 の娘を妻に迎え伊達氏の支援を受けて、この窮地を防ごうと画策します。

また、隆顕候の後を継いだ、三代田村清顕候の時代になっても、その状況はあまり変らず、四面楚歌が続きます。

しかし、頭角を現した伊達政宗に自身の一人娘である愛姫を嫁がせることで伊達氏との関係をより強固なものにするために、再び手を結び、三春田村氏の存続を図ります。

以後、この群雄割拠に時代に三春田村氏が、伊達勢と連合して自国防衛と領地獲得のために対外戦を挑んでいきますが、清顕候には男子がいなかったため、1586年に清顕が急死すると、清顕後室(相馬氏の娘)を立て、家中が一致結束し領内経営を目指します。




しかし、清顕後室が相馬氏の娘であった関係から相馬氏を頼ろうとする田村顕盛(隆顕の弟で梅雪斎と号した小野新町城主)を筆頭とする相馬派が台頭し、清顕候の遺志を尊重し伊達氏を頼るとした伊達派と対立します。

このような中、1588年に田村領を狙った相馬義胤が田村家中の相馬派と結んで三春城入城を企てますが、家中伊達派の筆頭橋本刑部顕徳らにより、相馬勢は三春城揚土門まで攻めたてますが撃退されます。




さらに、その後これに端を発する郡山合戦が起こります。
これは相馬・佐竹・芦名・二階堂連合軍と伊達・田村軍が郡山にて対決したもので、実質的に相馬家と伊達家の田村領をめぐる戦いでした。

この戦いに勝利した伊達政宗は三春城に入城、清顕後室を隠居させ「田村仕置」と称される家中相馬派の一掃をはかります。





その後清顕の甥(清顕の弟氏顕の子で清顕と同母)である田村孫七郎に、宗の一字を与え田村宗顕と名乗らせを三春城主に据えます。




清顕亡後の田村家の重臣筆頭である、田村宮内顕頼(月斎)橋本刑部少輔顕徳などの、田村家重臣が、伊達家当主政宗以下、伊達成美、片倉か景綱等伊達家重臣たちを接待の為に、大元帥明王社で宴席を設けたのもこの「田村仕置」の頃です。

そして、ここに座っていますと、伊達政宗を頼って田村家を何とか存続を模索する田村家重臣、そして時代に乗り遅れまいと政宗に御目通りを願う地侍達等々・・・・戦国時代という時代を生き延びようとした男たちの苦悩や迷い、そして決意など当時の息遣い等、ヒシヒシと肌で感じます。




三春昭進堂 髙橋龍一




尚、伊達家へ仕官した田村家旧臣は、田村本家、御代田氏、田母神氏、橋本氏、村田氏、石沢氏、常葉氏、中津川氏、郡司氏、大越氏など11家にとどまります。

| ryuichi | 04:31 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩総鎮守 大元帥明王(現・田村大元神社)::明王様御祭礼 |