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三春物語916番「天澤寺の天邪鬼」


三春城下清水の古刹、曹洞宗萬年山天澤寺。

目を見張る巨大な伽藍の本堂軒下に目をやると、大きな屋根の端、尾垂木の上で軒を支えるような格好で置かれている「天邪鬼(あまのじゃく)・邪鬼(じゃき)」の彫刻があります。
四天王さんや明王さんの仏像が、思いっきり踏んづけているのもこの天邪鬼です。



天邪鬼・邪鬼とは、仏教では押さえ込まれる存在として、人の煩悩や悪心の象徴・権化とされています.。

この天澤寺の大屋根を支える天邪鬼にもその関連がありまして、それは下記の由来が関係しています。


ある坊さんが、天邪鬼に向かって、この石の燈籠を持ち上げられる者はこの世にいないだろうと嗾けます。
すると負けん気の強い天邪鬼は、俺にできないことはないとその大きな石燈籠を軽々と持ち上げます。



これを見た坊さんは、これはすごいと褒めながらも、あげておろすだけなら誰でもできるとさらに囃します。
すかさず天邪鬼は、いつまでも持ち上げていられる!とムキになり石に変化したそうです。

この反発心をしてここから「天邪鬼(あまのじゃく)」と云う語が出来たそうです。




この天邪鬼と云う語は、意地っ張り、人に反発する、反対のことをする、といった意味で使われていますよね。

寺社大工の棟梁たちは、邪鬼達のこの意地っ張りで負けず嫌いな性格にあやかって、大屋根を支える束の代わりにこれを置いたとされています。

何ともこの天澤寺の邪鬼達は必死の形相で軒を支えている。
装飾のないこの塔において唯一ユーモラスな部分で「あまのじゃく」は、大工たちの遊び心であるだけでなく、踏まれても耐えて持ち上げようとする姿にあやかったものである。



「あまのじゃく(天邪鬼)」は「邪鬼」から転じた言葉で、"ひねくれ者"、"つむじ曲がり"の方々を言い表し、「本心に素直になれず、周囲と反発する人」または、そのような言動を指して、「あまのじゃく(な人)」と呼ばれています。

しかし、不器用な生き方死が出来ない私には、何故か他人様の事とは思えません・・・

世間一般では、何でもかんでも人の言うことを黙って聞いている方を”大人”と呼ぶそうですが、「そんな大人に褒められるような馬鹿にはなりたくない」と思って、この歳まで生きてきました。


天邪鬼の本来の意味、本質は、「風潮や時流、権威や権力に逆らい屈服しない強い意思を持っている人」天邪鬼呼ぶ」と思っていますが、見方を変えれば偏屈者ですね・・・・。

決して不貞腐れていたり、駄々を捏ねたり、拗ねたり、ましてグレてる訳じゃありませんから~!意味が違います、意味が。



幕末の幕臣伊庭八郎を描いた池波正太郎著小説「幕末遊撃隊」

この作品中で池波は、江戸幕府が瓦解した今、何故函館に向かうのかという問いに対して、伊庭八郎の言葉として以下のセリフを云わせています。

『ともかく慶喜公(徳川家十五代、最後の将軍)は、戦争(戊辰の役)をふせごうとなされ、みずから、すべてを投げ出されたので。このことを後の世にまで、わかってもらいたいと、私は思いますねえ。……中略……このまま、じいっと頭を下げて、官軍と称する薩長の言うなりになってしまえば、奴らのしたことの、全部の全部が、正しいことになってしまいますからねえ・・・・』



これこそ正に”究極の天邪鬼”そのもの!
天邪鬼万歳!です。



おたりまんじゅう本舗 三春昭進堂 高橋龍一

| ryuichi | 05:14 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町::萬年山天澤寺 |