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三春物語938番「三春~教科書には載らない歴史」~於Ri2530地区三春ロータリークラブ例会


>Ri2530地区三春ロータリークラブ会長の増子博保さんから”三春ロータリークラブの木曜昼の例会で、三春の歴史について話してほしい”と云うことで、ご案内を受けました。

増子会長は、今年度の目標として「地域を知り、地域の貢献し、ロータリー仲間を増やそう!」というスローガンを掲げているそうです。
そのトップバッターとして私に白羽の矢が当たったという次第だそうで、ありがとうございます。。

お題は「三春のと戊辰戦争」ということでしたので、例の「三春狐」の払拭の絶好の機会到来とばかりに、歓び勇んでお邪魔させていただき、諸先輩を前にして大変恐縮でしたが、”おしゃべりな饅頭屋の一席”にお付き合い頂こうと、お話をさせていただきました。



このような機会を与えていただいたこと、三春ロータリーの皆様には、感謝申し上げます。

また、増子会長には、過分なるご紹介いただきました事、大変恐縮です。

エスコートしていただいた、永井さんには、様々な場面においていつも感謝いたします。

重ねて御礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。




丁度この日は、友好ロータリークラブの茨城県八潮市の八潮ロータリークラブの方々のご臨席での卓話となりました。

先日、有楽町の帝国ホテルで行われた八潮ロータリークラブ40周年祝賀会の御礼だそうで、この人の輪と申しましょうか?交流の厚さと申しましょうか?絆なんでしょうね、ここにロータリークラブの意義、素晴らしさの断片を垣間た思いがいたします。

杉村会長はじめ八潮ロータリークラブの皆様には台風11号直撃の中のご訪問ありがとうございます。
貴重な経験をさせていただきました。

また、画像をいただきありがとうございます。早速使わせていただきました。

さらには、化粧用具のビューラー国内シェアは約70%、資生堂「マキアージュ」のビューラーは全て沼澤製作所の社長沼澤明夫さんもロータリータリアンとして来町され、お土産として持参していただいた「自社製八潮ロータリークラブ発足40周年記念」に製作されたビューラーを、当店女将と女性スタッフの分まで頂戴いたしました。

重ねて御礼を申し上げます。

尚、国際ロータリーの会長である田中作次さまが所属されています。
地域社会の為、世界の平和の為に世界中を駆け回り活動を続ける賢人は日本で3人目のリーダーとのことです。




本来であれば、諸先輩を前にしてジャケット着用で登壇すべきところなんでしょうか、饅頭屋として、歴史の語り手としていつもの作務衣で臨場させていただきました。

下記はその卓話の内容です。


「三春~教科書には載らない歴史」    於三春ロータリークラブ例会

三春昭進堂主人 髙橋龍一


1. はじめに・私が“三春の歴史”に興味を持ったわけ・・・

「会津猪 仙台むじな 三春狐に騙された 二本松まるで了見違い棒」


2. 戦国田村氏・・・塵壺6月号参照

3. 秋田家安倍安東家・・・大和朝廷とは別の渡来人の末裔・・・塵壺伊勢詣り
アテルイ末(安日王)アイヌ民族の長・・・「東日流外三郡誌」
前九年の役・後三年の役・・・源義家により秋田以北に移住
その一派は、西国に退避・・・安倍晋三総理大臣の先祖・・倭寇・安倍水軍

倭寇(海賊からの輸送船警備や運搬業を生業とする武装集団)と呼ばれる。

鎌倉初期・・本拠地青森十三湊が、大地震による大津波にて一夜にして壊滅(近年発掘証明)ムー大陸・・・・奥州藤原黄金文化

東南アジア沿岸や中国・九州地方の安倍・安東水軍が残存

・和船・青森ヒバ(水をはじく)の船・・・蒙古来襲・元寇で元(モンゴル)、高麗(古代朝鮮)連合の艦船撃退(神風伝説)
元は水軍を持っていない。・・高麗・南宋水軍・・日本海が荒れるのを知らないはずはない。

文永の役(1274)は10月中頃、弘安の役(1281)は6月末から7月初め・・ともに台風シーズン・・・その前に一ヶ月にわたり海上待機、船底には貝が多量付着
意図的に元の征服されている高麗が元が負けることを想定していた?

鎌倉幕府としては表に出したくない・・・記録「東鏡」には無記載
室町幕府・江戸幕府―水軍は強力な戦力―隠しておきたい



おたりまんじゅうを食しながらのお茶での懇親会にて、杉村八潮会長と増子三春会長と3ショット

4.三春と明治維新・徳川幕府300年の終焉

 天皇は洛内(京都)や大和地方の一信仰の対象・・・江戸幕府が規定・・自ら犯す

開国・不平等な通商貿易
・米価本位の経済の破たん・欧米各国の脅威・飢饉

金・絹など西洋と貿易・・・金が安、銀が高・・欧米とのかけ離れ
金銀の交換比率は,日本では1:5,世界市場では1:15
外国商人は洋銀を日本に持ち込み,国内比価で金と交換し,暴利を貪った

輸出急増のため,国内は品不足 → 国内物価高騰物・・・・民衆の爆発・打ちこわしや一揆の続発、“ええじゃないか”

薩摩藩や長州藩などの西国諸藩・・・地場産業の開発や密貿易により現金収入

地場産業振興・輸送・・・北前船・
密貿易・・・・出島や沖縄・竹島・尖閣諸島等々

石見浜田藩(島根浜田市))・棚倉更迭・・ヤシの実でサッカー目付(スパイ)間宮林蔵に見つかる

「忠臣蔵」赤穂浪士の軍資金・・・塩売買・・・大量生産・遠方への輸送可能
・・・・・莫大な利益    小野寺十内秀和 (祖父十太夫は三春藩士)

「桜田門外の変」水戸浪士・・・こんにゃく農家から献金・・少ない

こんにゃく・・・長持ちしない江戸へ船で輸送
三春藩は江戸詰御用人小野寺舎人を番頭 として「外桜田門御番所御当番」

水戸浪士の参謀役と言われている人物に、元三春藩士小野寺慵斎がいます。
・江戸城下水運の管理・彦根藩 運用税の値上げ~利益減少

・戊辰戦争の戦意・・・江戸幕府に経済政策の破たん・・各藩とも借財の山
戦争どころではない・・・・下級武士やそれ以外が主力・・長州藩奇兵隊や幕府歩兵

その前の戦争と云えば約200年前の島原の乱・・・武士の事務員化



5.戊辰戦争と三春・・塵壺秋田静臥

・八重の桜から「会津藩と三春藩」の関係 

会津への道案内・・猪苗代・中山・熱海、湖南などの農民が率先して西軍を誘導
―会津防衛の戦略により、鶴ヶ城防衛と称して罪もない宿場や村々が焼き払われるー会津藩士に対する恨み・・・日光街道・北越の村々・・郡上八幡凌霜隊

三春藩の協力・荷駄運搬のみ
・徳川幕府・・主従関係あり・・・幕府恭順・瓦解・・戦いの名分がない
新政府軍・薩摩長州を中心とする西国諸藩は、振り上げたこぶしの落としどころとして会津をロックオン

勝海舟の策略・・武士階級ではない新撰組残党や旧幕府歩兵の江戸から追放、蝦夷へ(っ神戸海軍兵学校時代に提唱・坂本龍馬)
旧幕臣大番組で組織する遊撃隊や関東周辺の小藩(請西藩)脱藩藩士などは、箱根迎撃失敗後、上野のお山の籠城そして会津へ

旧幕臣榎本武揚率いる旧幕府艦隊(旗艦開陽丸以下、回天、翔鶴、蟠龍)は静観、後残存艦蝦夷へ


八潮ロータリークラブの皆様

6.三春狐に騙された・

三春町民の知識階級の方々には、戦前まで「牛馬の競り市に来て、売買代金を庚申坂新地で使い果たした博労たちが、遊女を「三春狐」になぞらえてとして出来た戯言」程度の認識

鶴ヶ城落城後、会津藩士は青森斗南藩に事実上の流刑に処せられます。
しかしそれを不服としていた佐川官兵衛などは、警視庁が募集した不平士族鎮圧のための入庁し、西南戦争などで活躍しました。

明治中期から昭和初期・三春は大変に景気が良い時期が訪れていました。・・・塵壺山三
軍需景気(日清戦争・日露戦争・日独戦第一次大戦)

三春出身の河野広中は、衆議院代議士から農商務大臣、さらには、衆議院議長にまで上り詰めていました。

・・・これへの嫉妬と斗南移住の会津藩士や二本松藩士への怒りの矛先を他に向けるため意図して“風説の流布”を執行した。

・最後執政秋田静臥と大原家(薩摩藩)
・土佐藩と河野広道・広中
・三春藩銃砲組指南役
・熊田嘉膳 水戸藩砲銃鋳造師範、後会津や相馬藩に出向
・町田貢 砲術指南役・幕府講武所調練指揮役。門人千人

藩 名     石高 施条砲  大砲総数  後装銃数  旧式前装銃数   
三春藩      5.0    0     3       86       400       
二本松藩    10.1    2    12        0       60      
仙 伊達家   62.6   0     84      533      5,727     
米沢 上杉家  15.0    0     18      60      900     

当時の知識階級・・内戦の不利(欧米による日本侵略の足掛かり回避)
戦争回避を提唱、会津藩京都守護職“薪を背負って、渦中に飛び込む”が如くの愚挙
長岡藩家老河井継之助・武装中立(スイス王国)

広い視野を持った筆頭家老西郷頼母を追い出した会津藩が根底となる会津史観や、当時の社会情勢に疎い二本松史観の悲劇的解釈から出て来たであろう、狂歌「会津猪 仙台むじな 三春狐に騙された 二本松まるで了見違い棒」への理論的解明と改訂となっています。

会津落城前に、意図的に広められたとしか考えようのない、「戊辰ノ役会津戦争」における奥羽越列藩同盟の敗因の一つに三春藩を陥れようとする意図が見え隠れする、この戯言狂歌の出所は・・・・
尚、米沢藩や越後の新発田藩も同じいわれ様です。

幕末戊辰の役・会津戦争で東北の大藩というだけで期待され、日和見的な態度が祟って、対岸の火の粉をかぶりしまし、一番損をしたのはどの藩かは、すぐにお分かりですよね?

”三春狐”の根拠とされる「仙台戊辰史」に記載された資料の真偽の信憑性の解明もせず、ただ勢いだけで流布(風説の流布)された戯言的狂歌・・・だと私も思っています。
*明治初期に伊達仙台藩の関係者によって書かれた「仙台藩記-復古記(13巻57頁)」が「三春離反」を記載しているのみ.


・鳥羽伏見の戦い後、仙台伊達藩を中心とする奥羽の諸藩に対して、会津藩は軍事局に大きな期待を寄せていました。

・仙台藩家老坂英力・同但木土佐、米沢家老竹股美作、 参政木滑要人等東北諸藩の家老(代理含む)が参集し、仙台藩領苅田郡関宿にて会合して、会津藩の救済案を模索します。
そして、その結果を 会津藩の使節、家老の梶原平馬、伊東左太夫、山田貞助らに対して、救済嘆願の素案骨子を提示します。

・それは、藩主父子の蟄居、減封、鳥羽・伏見の戦いの 指揮者処罰でしたが、我を忘れ死に物狂いの会津藩にはそれを理解できず、これを拒否してしまいます。
蛤御門の変・・長州藩第一次征伐は藩主謹慎・三家老(福原越後・国司信濃・益田右衛門)の首を差し出す。第二次征伐では拒否・・戊辰戦争へ

これが会津戦争の悲劇の始まりです。


そして、ここから奥羽越列藩同盟という虚構の構図が生まれます。
伊達藩にしても、米沢藩にしても、幕末・戊辰のこの時代藩の経済は疲弊し、戦の軍資金の捻出などとてもとても算段できる状況ではありません。
これは、全国の諸藩皆同じくです。

しかも、大阪や京都、長崎などに藩邸や出入り商人を持たなく、経済に疎い東北諸藩は尚更です。
本気で会津救済を考えていた藩などあるはずがなかったのが実情だったのではないでしょうか?
しかし、悪役が欲しい・・・・。

・さらに付け加えて、云わせていただけるならば、会津落城前、上杉米沢藩が降伏し、伊達仙台藩が降伏したころにできた“じゃれ唄”です。
これが明治になって再燃し、現在に至る・・・・

直接の当事者ではなくても、士族間の期間限定の”恨み言”の類で云われるならまだ、流布する輩に対してまだ同情の余地はありますが、ネチネチと三春町民すべてを対象として言われ続けることのには違和感があります。

まして、会津人や二本松人でもなく、だた聞きかじりの無知、心無い方々や士族でもない町人の方々が、さも知っているの呈で、吹聴しているというのは、怒りや悲しさを通り越して、呆れてしまい、哀れに見えてきます。

まぁそれも、明治中期以降の三春の経済発展や河野広中の政界での活躍など、”やっかみ”や”嫉み”の素材としては不足しないということかな・・・・

実は、私が“三春の歴史”に興味を持った理由もそこにありました。
それは、今から40年前、私が小学校の中・高学年のころ、そして中学生の時もありましたが、授業中に一部の会津・二本松史観の教員から上記のジャレ唄と共に三春藩卑下の話を聞き衝撃を受け、幼いながら「三春では歴史の話をしてはいけないんだ」思っていました。


しかし、年上がり上級学校で、新しい日本史を学び、さらには司馬遼太郎の「龍馬がゆく」や「峠」などを読んでから、日本史を教科書・勝者や大勢側からみた偏った歴史認識に疑問を持つようになったことがきっかけでした。


昼食を食べて例会スタートです。

6.まとめ

・三春に生まれたこと・住んでいることに誇りと自信を持つ

・三春と云う名前は全国区

・三春昭進堂HP・菓子の宣伝は5パーセント
唯歴史を調べるだけではなく、仕事の一部分として広く町民の方々に示していく。

・三春昭進堂やおたりまんじゅうを全国ブランドにするのは気が遠くなるような労力が必要だが、三春と云う名前は全国ブランド・・滝桜は三春で一番の営業マン




三春昭進堂 髙橋龍一

| ryuichi | 05:44 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::講話集 |