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三春城下新町修験 康正寺(光照寺?)跡 石塔婆


明治維新の廃仏毀釈まであった三春城下新町の修験康正寺(常照寺?)跡です。

今は、旧三春家畜市場跡となっている新町お買い物駐車場の真照寺側の小高い丘です。

今は、康正寺(常照寺?)稲荷と呼ばれる小さな祠がたっていますが、その麓となるなる場所、たぶん新町倉庫のあたりに社があったのではないかと考えています。




最近、近所の長老がこのあたりの木を伐採してさっぱりしました。

お話をしていると、「ここは昔お寺(康正寺or常照寺?)だった場所だから、あの上に石碑・石板が二つ建っている。昔は五塔ぐらいあったと思うんだが・・・」




早速土手をよじ登り、示された場所まで斜面を這い上がってみると、ちょっとした平場に石碑(石板)二塔ありました。




梵字とお祀りする神仏が刻まれているんだと思いますが、風化が激しく読めません。




もう一塔は、二つに折れていますが、やはり梵字と感じらしき文字が見えます。




この修験の寺も、三春藩領内総鎮守「大元帥明王社(現三春城下新町鎮守田村大元神社)」別当真照寺の配下の修験が居住した場所なのか?

調べガイがあります・・・・

しかし、この石塔はご覧のように三春城、そして旧大元帥明王社である田村大元神社を見渡す場所にひっそりと建てられていました。





三春城下には数多くの寺院や神社があり、それぞれが歴史的な遺産を守り伝えています。

静けさと歴史の重みをたたえたこれらの寺社は、人々の信仰を集める祭祀の場であるとともに、歴史的な建物,地域に根ざした文化活動自体が独自の価値を持つだけでなく、郷土への誇りや愛着を深め,古来より住民共通のよりどころ、そして地域のコミュニティの場として機能してきました。


これらは、歴史を背景に、生活との関わりの中で生み出され、現在まで守り伝えられてきた町民の財産です。

寺社仏閣の修復、周辺の歴史的街並みや、地域の特色ある文化を活かした継承・活用を考えることも大切です。


また、子どもや青少年が、我が国の伝統と文化に対する関心や理解を深め、尊重する姿勢を育むことは、豊かな人間性や国際社会に生きる日本人としての意識を醸成する上で、重要なことなんだろうと思います。






子供の頃に良く聞いた話ですが、かつての三春では、修験の祈祷師の人が蟲切りや蟲封じをしていました。

蟲切り 蟲封じなど、いわゆる「疳の蟲」というもので、そのまじないは手のひらに筆や指で真言や呪いを唱えながら蟲の字を書き最後に塩水や茶殻で手を洗い数分明かりに照らしてみると細かい糸状のものが出てきます。

これがいわゆる蟲です。
日常的に、よく泣いたり、奇声を上げたり、人に噛みつく、爪をかむ、指をしゃぶる、落ちつきが無いなどの、子供の行動や、病弱なども疳の蟲の症状としているそうで・・・・

不思議ですよね。



三春城下はまだまだ面白いですよ!

三春城下の修験には、時代とともに変化していきますが以下のような記録が三春町史には示されています。

1、華正院(荒町)
2、普明院(荒町)
3、大聖院(荒町)
4、若王寺(大町王子権現)
5、般若寺(北町天満宮別当)
6、陽正寺(北町切通し)
7、吉祥院(切通し)
8、宝来寺(亀井三春藩主秋田公祈願所)
9、泰平寺(山中大元帥明王別当)
10、文殊院(新町)
11、光照寺(新町)
12、常楽院(新町)
13、専修院(荒町)
14、来光院(裏町)
15、清水寺(御免町)
16、宝憧寺(御免町)
17、智法院(裏町)
18、大桂寺(丈六)
19、明王院(丈六)
20、万徳院(丈六)
21、西福寺(中町)
他に、所在不明
 和合院(荒町)
 成就院(新町)
 一条院(八幡町)

がありましたが、荒町のある華正院さんだけが、天台宗寺門寺院として現存しています。






春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:21 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町 |