CALENDAR
S M T W T F S
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30     
<<  2024 - 04  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




三春物語226番 「大町まちづくり」ニュース大正13年 三春町新年交礼会


三春町大町で守城稲荷神社総代や老人会の世話人、そして字委員をなさっている先輩が発行しいる「大町まちづくりニュース」の2003年8月の広報です。
この方は、お得意様であり、消防団現役当時大変お世話になった三春の大先輩で、稲荷神社の広報誌の発行をされていています。
この広報誌は、時代とともに忘れ去られていこうとしている守城稲荷神社の歴史や由来から始まり、居住地である大町に係る事柄などを詳細に広報されています。
内容は、「まちづくりは、昔も今も 一人ひとりが 主人公」と題して、
「大正13年三春町新年交礼会の出席者名簿」を紹介しています。
お名前を見ますと、当時の公共機関の上級職員や大店の商店主等、字ごとの政財界の名士の方々のお名前が見えます。
年号から、大正ロマン期、そして関東大震災の翌年ということで、どのような会話が交わされたか興味がわきます。
説明文に「大町は、町の中心にあって、全体をリードする立場にいつもありました」とあります。
城下町の中心地「大町」からの出席者が、上に位置していることに由来していますが、大正期商業全盛期の中で、大町商店街が中心にいた証でしょう。
「大町気質」を感じます。
そして、結びに「こうした歴史の上に立って新しい時代の三春が今動いています。町(字)の行事には進んで参加協力をお願いします」とあります。
私も、三春に住むものとして、心したいと思います。

   
三春写真館 明治14年発行「三春名所案内より
 城山から見た三春大町中心市街地



同じく守城稲荷神社と田村大元神社


同じく県立田村中学校(現田村高校)と田村郡役所
 
    
塵壺H13.4より
      「郷土・三春」
 早朝、仕込みの後,忙しいときを除き、荒町高乾院まで散歩に出かけます。四季折々に、其の表情を変えて行く風景に、三春の素晴らしさを感じながら、歩いております。
三春には、日本全国、世界に誇れる寺社・仏閣という公の文化、町屋・蔵という市井の文化、村落にある里の文化、三春の風土に根ざした様々な文化と、それを支える三春気質があります、この三春人のいきばりとも云える文化を次世代まで残して行きたいと思います。  
 三春には集まりが多いとよく云われます、これも三春の風土のひとつかもしれません。それぞれ団体や、組織があり、役員の方々が、方向を舵取りなさっていますが、各種団体にしても、商売にしても、三春は田舎だから、みんながこれ位だからと言うような、田舎意識では無く、三春にあっても東京と何ら遜色なく、単なる地域の違いと心がけ、田舎の一流ではなく、日本の一流を目指すべきではないだろうか。
 商売屋の集まりにしても、非常時の集まりにしても、その本質をよく理解して、三春から世界に向けて発信、そして自慢できる、有意義な集まりにしたいものです。
 よく首都圏に行くと、東北人は、直ぐに標準語に直す、関西以西人は、自分の生まれた地域を自慢に思い、誇りとして方言を,変えないと云います、又、出身は?と尋ねられると、福島とは云えても、なかなか「三春です」と、云えないのではないだろうか。
 この三春というロマンチックな地名は、全国どこでも通じます、
大正期首相原敬の、「山一文」ではないが、日本全域が田舎である。
年に、一、二回ほど、家内の実家である、島根県・浜田へ日本海ルートで、二府、十三県を通り帰ります。西へ行けば行くほど、古い家や、町並みが自然に、又当然のように在るのが目に付きます。浜田の、ある旧家の方のお話だと、「汚いと、古いは違う、また先祖がこの土地、風土に合った建物を考えて造った」と、自慢顔でした。 
私たちも、東北人、三春人として誇りを持ち、全国何処で聞かれても、三春から来ましたと、胸を張って答えていただきたいものです。
がんばれ三春を進学、就職で離れる若者。    

「どっから、来たんだい?」 「はい、三春です!」
                     
合掌




| ryuichi | 19:56 | comments (0) | trackback (x) | 🌸三春城下大町 |
コメント

コメントする