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三春小学校「明徳門」 旧三春藩学校(講所)正門



三春小学校「明徳門」旧三春藩学校(講所)
わが母校、三春小学校の正門に「明徳門」とよばれる旧三春藩の藩校であった講所の門が据え付けられています。

学校に藩政時代の門といって、パッ!と思いつくのは、東京大学の赤門(加賀前田百萬石藩邸の門)や、上田真田藩十万石の上田高校の正門などですが、国内を探しても、江戸時代の門を正門とする公立学校は少ないんだろうと思います。



この門は、戦後になって現在の歴史民俗資料館の駐車場に、前の三春警察署が新築されたときに現在の場所に移設されたものです。
今の歴民駐車場の敷地には旧三春藩の藩校がありました。

この藩学校は「講所」と呼ばれ、江戸中期の明和か安永年間に時の三春藩主秋田倩季(千季)候によって創設されましたが、天明5年未明に発生した後に云う“化け猫関連の城下大火”によってお城とともに消失しました。

大火からの復興の中で、教育機関の充実を痛切に案じた倩季は、大火からの復興が一段落付いた寛政年間に藩校の再建・竣工する運びとなりました。




新制藩学校の「講所」は、江戸は湯島聖堂から、書生杉沢謀と鳥居章左エ門を招き、門弟山地順祐、平賀英助が教師となったと記録されています。

その後、江戸から丹羽雲記、二本松から村瀬主税などを招聘して振興をはかったので、講所出身者からは倉谷鹿山、奥村俊蔵、大関甚山、山地立固などの当代一流とされる儒学者を輩出します。




この講所は、一名では「明徳堂」と呼ばれています。創設の藩主秋田倩季が名付け、自ら筆をとって「明徳」のと書かれた扁額を賜ります。
現在、明徳門に掲げられている「明徳堂」の扁額は、その書えお写して作ったものです。

明徳とは、儒学・大学という本にある「大学(大人)の道は明徳を明らかにするにあり」に由来し、“明徳の精神(くもりのない立派な特性)”「清く・正しく・美しく」として今も小学校の児童に受け継がれています。

当時、儒学者(漢学者)として、また書家、画家として有名だった倉谷鹿山もこの明徳堂の教師をされており、学長という制度を作った最初の学長だと伝わっています。

常葉は鹿山の生まれの又八(鹿山の俗名)が、藩主である倩季に見いだされ、藩士に取り立てられ百石を給せられます。

これは、鹿山本人の頭脳明晰さもすごかったんでしょうが、士農工商の時代に、それを見出して士官をさせたという倩季候の英明さも素晴らしい殿様だったのでしょう。

現在の講所門(現明徳門)も、天明の大火以後の建築でしょうから、約200年三春の教育を見続けているわけです。






この講所は、明治維新・廃藩置県後の明治8年、磐前県(現福島県の一部)師範学校として、苅宿仲衛校長の下で再開校されますが以前の藩学校のようには振るいません。

後に、本荘曽根作、熊田嘉善、山本演次郎、勝沼富造の四人が教師として努力しますが、同15年田村中学校(旧制)が出来たこともあり、師範学校は振るわずに、同19年に閉校してしまいます。

その後、蚕業取締所がしばらく置かれていましたが、昭和の中ごろに講堂、そして青年学校となり、三春警察署へと変わっていきました。

この門、以前は木羽葺きの屋根でしたが、銅板で覆われ現在の場所へ移転されました。






古より三春は、殿様や武士階級などのある一定の知識階級のものだけではなく、一般庶民までが教育に関心を持ち、知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などを総称する、いわゆる民度の高さなんだろうと思います。

それが、明治以降も受け継がれ、現在に至っています。

豊かになった現代の日本では、その日さえ楽しければいいという刹那的な生き方で、夢や目標を持つことを忘れてしまった人が多くなっていると感じます。
だからこそ、古の三春人が持った気概や情熱を現代に生きる私たちが学ばなければならないと思います。

そして、この三春町での教育を通じて、ひとりでも多くの子供たちが学ぶことの尊さを感じて欲しいと願っています。






「日本の唯一の資源は人であり、人を育てるのは教育しかない」                         
                          
 司馬遼太郎著 『坂の上の雲』(第一巻「あとがき」)より



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:30 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春藩始末記 秋田氏五万石雑記::三春秋田氏五万石雑記 |