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三春今昔物語 三春城下大町の巻①



ここに、古い三春町広報誌から抜粋した記事を張り付けた一冊のスクラップノートがあります。

昭和30年代に発刊されていた三春町広報誌、現在の広報「みはる」の前身にあたるもので、当時の執筆資料提供は、三春町文化財研究会、川又恒一氏、多田照雄氏、天野竜雄氏、影山常次氏、橋本宗哲氏、橋本久右エ門氏、大谷研明氏、渡辺利雄氏といったお名前があり。

当代きっての三春文化の担い手の面々です。

また、題字とカット挿絵を渡辺俊太郎氏が手掛け、当時の役場担当者が渡辺俊三さんです。

「塵壺」を書く時の資料にしてくださいと先輩から託されたものです。

この中に、三春の歴史や怪綺談を認めた著としたコラム欄がありました。

「怪奇伝説」「古跡漫歩」「三春今昔物語」がなどシリーズのタイトルが並びます。

一年を通じてシリーズ化して発刊されていたようです。

このタイトルだけでも、ワクワクします。






「三春今昔物語」大町の巻①から、三春城下大町の見てみましょう。

大町は三春城下でも藩庁、役所が集中していた関係で町屋は少なかったとあります。

本城の大手門(JAさくら付近)から守城稲荷前までは、町家は全く無く、現三春小学校敷地に、本殿がありました。
現本通りに沿って、奥屋敷、奉行所、公所、近習、目付などの公職人や役宅倉庫が並んでいたと記されています。





桜谷には、細川縫之助、佐塚秋田廣記などの重臣から、軽輩の屋敷がありました。
現在の三春町福祉センター(前の県中土木事務所)には、細川孫六郎宅。

高齢者住宅付近には、秋田傳内宅。

会下谷入り口付近に、小野寺舍人宅。

向いは、松井正右衛門宅。そしてその隣には、吉田造酒があり、かつては荒木国之助宅がありました。

御城坂には、旧城代家老秋田調、北畠秋田氏など重臣屋敷が居を構えていました。

かつて三春幼稚園があった会下谷は、「百石谷」と呼ばれて、百石程度の藩士屋敷が軒を並べていたとあります。

舞鶴城と称された御城(三春城)は、御城山にありましたが、時代劇で見るような天守閣は無く、御三階と呼ばれた建物がありました。

しかし、この御三階も、天明の火災以降は再建されませんでした。

普段、藩主の住んでいた御殿は、現三春小学校上校庭付近にあり、下の校庭には政務を担当する藩庁が置かれていました。

山頂にある御城には、儀礼的な行事のある時のみ藩主以下藩士が登城しますが、普段は留守居の藩士が登城するのみだったとされています。





明治五年、この御殿跡の敷地に現三春町立三春小学校が建てられました。

本誌が発刊された昭和30年代までは、上り口の土手に松の古木が数本あり、昔も面影を残していると記されていますが、今の明徳門のある階段の左右にある桜が植わっている場所でしょうか?

また、「校庭にあった藤棚があり、御殿があったころには能舞台があったと伝えられている」と記されていました。

大町四ッ角の石橋は、文政13年に完成し、その工事費が39貫150匁と記録に残っている。今の物価にしたらどれほどになるだろう・・・





石橋の傍らには、道路原票(今は南町福祉センター付近に移設)がり、三春から各地への距離が記されています。

白川11里26丁。 若松17里19丁。 二本松5里32丁。 福島11里。 

米沢21里半。 仙台32里22丁。 盛岡79里23丁。 中村17里35丁。

平17里20丁。 棚倉14里33丁 

と旧城下町までの距離が刻まれています。


昭和30年代の三春広報誌三春広報参照





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍




| ryuichi | 05:43 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下大町 |