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平成版今昔物語 「三春城下荒町界隈」



三春今昔物語 荒町

三春城下荒町は、明治になり、郭境門が撤廃されてからは、旧町内では一番広い地域を占め、昔から商工業が盛んなところでした。

工業といっても、製糸工場、羽二重工場ですが、旧藩時代から明治大正にかけて盛んでした。

先に移転してしまいましたが、前の三春中学校敷地にあった三盛社は、当時女工150名を使って操業していて、県下でも二本松の双松館と一、二を争う機械製糸工場として聞こえたものですが、先の戦時中に閉鎖してしまいました。





街本通り西側の山手には、法蔵寺、高乾院、光善寺、龍穏院、馬頭観音等が立ち並び、寺町でした。





高乾院や龍穏院は藩主秋田家の菩提寺、家老など藩重臣やそれに付随する家臣の墓所でもあり、藩政時代、お盆の墓参には、家老から軽輩まで、それぞれの格式で行列を組んで参っていました。

この場合、町屋のものはその行列に遠慮して通り過ぎるのを待って墓参に行く有様でした。




お盆の墓参が、武士は12日、町屋は13日と決めたのも、こうした混雑を回避する為だったんです。



城下への道は、日和田・本宮口と小浜海道口の二本がありました。

本宮口は、大正三年の磐越東線開通とともに三春駅が出来てその様が一変します。

また、小浜海道口の方は、二本松領川東三万石の小浜・針道方面との物資輸送、羽二重の川俣まで生糸を運ぶ外、馬、繭、葉タバコを運ぶために、今の渋池の中ほどから、上り

二折れしていた道を、先の三春中学校西側に沿うように道路を作り、交通の利便性を図って往来がスムーズになり繁昌していました。





馬頭観音は、古い由緒を持っています。

戦国時代の三春城主田村家三代の清顕が安置したというから約470年も昔からありました。

小野の東堂山、堂坂(現西田町)と共に三観音(馬頭観音)と呼ばれ、庶民の信仰を集めていました。

毎年旧暦の3月17日の縁日には、近郷近在から仔馬の出来た飼主たちが多数参詣して、餅を巻いて無事成長を祈願していたそうです。



昭和30年代の広報三春内コラム参照



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 05:38 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下荒町 |