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平成版三春古蹟漫歩「亀井 光岩寺 松下長綱公御母堂様の墓」




亀井 光岩寺 松下長綱公御母堂様の墓

三春城下北町末、亀井に亀井清水井戸があります。






その井戸を蔽う竹林の坂道を上ると、今は荒廃してしまいましたが光岩寺の堂宇址があります。


堂宇西側の山内に苔むした三春城主松下長綱公の御母堂の墓があり「月照院殿円宝宗弧大姉」と戒名が刻まれています。

松下長綱公は、江戸時代初期の三春城主で、その御母堂様は、当時の会津藩主加藤嘉明の息女で、父である重綱の正室でした。






加藤氏は、古い家柄で、鎮守府将軍利仁の末裔とされています。

はじめ甲斐の武田氏に仕え、後に三河に移って徳川譜代の臣となりますが、永禄七年、祖父教明の時に一向宗の乱があり、三河を去って尾張に赴き、当時の羽柴秀吉に仕えることになります。





教明の子嘉明は、秀吉子飼いの武将と称される“賤ヶ岳七本槍”の一人で、伊予松山城四十三万石から、秀吉の命で北の要である会津四十五万石に移されたのは、寛永四年二月のことでした。

これと共に、三春領は三万石として、嘉明の二男明利が入城します。
それが、翌寛文五年には二本松へ移され明利の後任として、二本松より嘉明の息女月照院殿を母に持つ松下長綱が三春城主となり御母堂を伴って入城します。

松下氏は源氏、名高い佐々木高綱の子孫で、碧海郡松下(現愛知県)に住み、松下と称します。






松下嘉兵衛之綱の孫が重綱で、寛文四年に下野国烏山藩(栃木)から二本松五万石(当時)に移されて死去、同年長綱が家禄を継ぎますが、短慮で暴政を敷いたとして二本松領民に幕府に訴えられ、減俸され三万石にとして三春へ転封されたと伝わっています。

三春城主として長綱は、三春城の石垣を築き、明治維新まで残る城下町整備などを施策しますが、正保元年に狂人となったという理由により、城地召し上げの上改易となります。

長綱は、舅である土佐の松下忠義に預けられますが、松下家の菩提寺州伝寺ですが、御母堂様の供養寺光岩寺に墓はそのまま残りました。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 04:12 | comments (x) | trackback (x) | 三春城主 松下氏 |