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平成版怪奇伝説「蛇石の蛇神様」




蛇石の蛇神様

今は三春ダムに沈んでしまいましたが、旧中郷村蛇石の蛇神様が鎮座していた辺り、根本川と樋渡川の合流点を三枝谷といっている。
昔は、両岸から古木の枝葉がのびて、うっそうと繁り、その暗い谷を、激流が岩を咬んで、ゴウゴウと音を立てていた。

元禄の頃、この谷間に大蛇が出て里人達を脅かし、藩内を驚かした。

その噂は、江戸表までもひろがっていったほどの騒ぎだった。
時の藩主、秋田信濃守輝季も捨ておくわけにはゆきません。
早速、家老荒木内匠に命じ、藩士総出動で蛇退治をすることになった





先陣には鉄砲祖、弓組の二組を編成、藩主である信濃守自身も、近臣を従えて出馬するという、大がかりなものであった。

松井正右エ門は200石取りの侍だった。彼も毆様の御供を仰せ付けられた。
丁度その折、彼の甥の松井民ニ郎が秋田から来ていて、お供を志願しますが、家臣でないため加入することができず、単独で出かけました。






三枝谷を遠巻きして、鳴物入りの蛇退治が始まります。

予想通り大蛇は谷の大岩を枕にとぐろを巻いていたので、鉄砲、弓の総攻撃を加えた。

怒った入蛇は、大きな鎌首を2米程も高くあげて、舌端火を吹きながら殿様に迫ろうとしている。
これは大変と、殿様は馬を引返して逃れ出たその時である。

物蔭に身をひそめていた民二郎が躍り出て蛇の進路に立ち塞がり、手裏剣を大蛇ののどに打ち込み、大刀を上段にかざして首を打ち落した。





やがて、民二郎は御殿に召し出され、その武勇を賞し“粟田口の太刀”を賜った。

面目を施した民二郎は、召し抱えたいという殿様の希望を固辞して秋田に帰って行った。

お蔭で叔父の正右エ門も代々無役250石の恩賞にあずかったという。

里人達は、崇りを恐れて、鎮守の祠を建てたのが今の蛇神様である。


蛇石の地名もこれに由来している。


蛇石の蛇石王子神社は、蛇石鎮守として祀られ「王子権現様」とよばれていました。
三春ダムの建設に伴い、現在の地へ移転しましたが、かつては世帯数も五十戸ほどあり、祭礼も賑やかだったと云われています。
十一月の三日に行われていますが、かつての祭礼は、旧歴の九月十九日に行われていました。
前々日に若連衆が集まり、社殿内外の掃除からはじまり、五反幡を立てて、神田の収穫米で神酒の「どぶろく」と「甘酒」を造り込みます。

祭りは、宵祭り、本祭り、後祭りと三日間行われ、本祭りには、三匹獅子舞が村内の各戸を巡り、厄をはらっていました。

この三匹獅子舞は、午後三時ごろ常宿で略式三種を舞ってから王子神社へむかいます。
途中、二十三夜塔の前で一回、蛇神様(弁天様)前では、「養蚕神のためにも」といって二回舞います。

王子神社前では、三春城下山中の田村大元帥神社の方角を向いて「上げ獅子舞」と呼ばれる舞いを奉納します。
このあと獅子頭を社殿に供えて参拝し、辺りが薄暗くなるのを待って全種目を演舞します。

さらに、常宿に戻ってから「六じょう獅子」を舞います。

尚、蛇石の三匹獅子は「むぐろ(モグラ)獅子」俗称で呼ばれていましたが、これは舞の中に中腰で両手を前に伸ばす所作がもぐらの動きに似ているところかに由来すると伝えられていました。

現在は、三春ダム完成後、世帯数の減少で祭礼も神事のみとなり簡略されています。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂



| ryuichi | 05:27 | comments (x) | trackback (x) | 平成版三春怪奇伝説 |