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「第1回三春美術展」 三春城下戦後の文化活動


三春城下、戦後の文化活動

今年も、三春町文化祭が開催され、町民を楽しませています。

三春城下は、古より文化や教育、そして生活水準などを総称する「民度」が高く、心身ともに豊かな暮らしをしてきました。

太平洋戦争から復興するにあたっても、終戦の翌年には民間の力で文化祭を開催しています。

下記は、三春町史を参照して、その下りを記してみました。

戦時中、三春賛文化協会と称し、戦意高揚迄もになってしまった三春文化協会は、太平洋戦争の終結と戦後の混乱のなかで、文化活動は休止状態に、そして、その存在の意義を失ってしまいます。

しかし、軍国主義的な通告がなくなり、本来の文化活動に復帰すべく、かつての会員の有志が集まり、衣食に追われてながらも、敗戦の翌年、山三渡辺商店の二階で「三春の古画展」-開きます。

町内の寺院や旧家所蔵の絵画が出品されて、敗戦の傷がまだ色濃く残る三春城下の町民たちの眼を楽しませました。


三春町に疎開していた独立美協の西田藤次郎が、戦後初めて個展を開き、続いて春山新三が従軍のスケッチ展を開きます。

これらの個展開催の経緯のなかで、西田氏、春山氏、そして川又氏らが中心となり、当時三春に赴任していた県美術界の中心飛田昭喬の指導を受けて、昭和二十一年十一月十五日より三日間、三春小学校講堂を会場として第1回三春美術展を開催することとなります。

もちろん、戦後間もなくのことで、展覧会の設備などはなく、戦時中の旗台の枠数個と同人の建築業者からバタ板を借用し、古釘を集めて四つの枠を作り、安達中学校より幕を借用してなんとか会場設営が整いました。

出品作は、日本画二七、洋画六五、洋画の内訳は水彩画三-図案四、油絵四四、ペステル画一 、鉛筆画一 、クレオン二、写真一九合わせて、百十一点にのぼり、敗戦後の索漠としたなかに文化の灯をともしたものでした。


尚、前記の三春文化協会は復活することはなく消滅してしまい、三春町文化団体連絡協議会が発足するのは昭和四十二年のことでした。


昭和二十二年、三春小学校第一校舎が全焼し、再建後、十八年から跡絶えていた三春町文化祭が復活します。

美術展も会場を小学校に移し、各教室に小·中学生の作品展や書、華道展、農産物展、切手展などを催し、食堂も開設されて町内外の見学者でにぎわうようになったと三春町史には記されています。

三春美術展は以後第三十三回まで続き、あとを三春美術協会に引き継ぐのである。

華道は小原流の吉田清雪が指導を続け、敗戦の翌年ころから三春小学校を会場に華道
の展示会が開かれていました。

以来、文化祭に欠かせない展示会となり、やがて、三春華道連合へと発展して行きます。

書道は、渡辺俊太郎先生を中心とする絃川会が作品活動を続けていました。

また、前川栄先生がが小·中学生の指導にあたっていましたがが、この当時老齢のためやめたあと、父兄の書道会復活要望により、渡辺需先生が三十年に日本美術書道会三春支部をつくった。

また、昭和二十三年からラジオの放送文芸が始められ、天野多津雄らが選者をつとめます。こののち歌人たちの作歌活動が活発となりますが、三春の梢短歌会が復活し、歌誌『梢』が復刊されたのは昭和三十年のことである。




三春町史参照(画像も三春町史より)


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:28 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下大町 |