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平成版三春産馬(三春駒)



三春産馬(三春駒)

三春駒の起原は古く、その歴史はつまびらかではありません。

伝説をたどってみると、後冷泉天皇の天喜年間、 安倍貞任を八幡太郎義家が攻めた「前九年ノ役」に、八幡太郎の軍馬として従軍したと記録されています。

更に田村義顕の頃、三春城下荒町と堂坂(現郡山市西田町堂坂)に、馬頭觀世音を建立、信仰したといわれていますから、三春地方の馬は千年近い歴史を有していることになりましょう。

天正六年、三春城主田村氏の時代に、三春の片寄助右ヱ門氏(後に渡辺姓)と云う人が家康公が小山御陣の節乗馬を奉献し、其のとして「右領地内で引馬10匹荷物10駄分諸役免除の特許再た」と云う証書が同氏の末葉である渡辺嘉十郎氏宅に遺っています。

尚、田村氏に次いで寛永5年正月(1628年)松下石見守の治世に至って始めて、馬匹糶売法を設けてその販路を広める対策を講じ馬の生産頭数は漸次多くなったが、その当時の産馬は、もっぱら自然の地勢風土により、牧養したものであって、人為的何等の施策も講じなかった様であった。

(秋田家以前三春に馬糶(馬セリ)のあったことは浪岡氏の記録による)



正保2年、秋田河内守俊季公三春入府後には、ますますその増殖がはかられています。




延室7年、黒鹿毛刀駿馬を幕府に献じて、大いに名声を博します。

以後、藩主参勤の際には、駿馬の献馬が恒例となっていたと記録されています。

貞亨2年頃からは、藩主が卒先して馬匹の改良特励に意をもちい、三春二代藩主信濃守輝季公は馬奉行、駒付役の制度を設けて産馬改良につとめます。

元禄12年には、駒付役早川、白岩の両名を 仙台、南部に派遣し、五百金を下付して良馬を購入させ、領内古道、岩井沢、葛尾などの放牧適地に貸し与えて増殖を奨励し、同時に競り市法を改めます。

これにより飼育数年で、三春産馬の各声高く、馬の産地として全国に知れわたるようになっていきました。

明治3年には、明治政府による競売法が改められ、 同6年には駿馬10頭が帝国陸軍省の買上げるところとなって、更に名声をあげました。

明治10年、県は産馬改良を計画、同11年認可を得て県産馬会社を設立し、須賀川に本社を置き、三春と若松に分社を設けます。
三春の分社長には三春の人、松本芳長が就任しています。

後に県産馬会社は、もともと県下全体で組織されたものでしたが、次第に主体は三春分社に移ります。

明治14年の国内勧業博覧会に三昏産馬会社から出陳した3才青毛馬が天覧に供されこの外9頭も有功賞を得て、大いに面目をほどこした。と記録されています。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 05:33 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町 |