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耳鳴りの彼方へ 1
 平成15年6月8日
「耳鳴りの彼方に・・・」
“町火消し”その視点と正義   
                        
三春分団副分団長    髙橋龍一


「平成15年度春季検閲式に係るレポート提出」を受けて、平成15年度より、三春分団後見も含めた三春分団全員合意の下で三春分団副分団長の職責を任された、髙橋龍一が謹んで上申するものであります。
これも三春町消防団団長の方針である「風通しの良い消防」「元気を消防団から発信」この体現化なのかなと深く感謝申し上げます。
本上申書は、部下である現役三春分団団員を危険から守るために、三春町消防団、三春町に対しての現在そして将来的に抱える不合理さゆえの諸問題に対する単純な改善改革案の認識確認と、其の諸問題が自然発生的に生じた自治体消防発足以来の、この組織に慢延し受け継がれた「理念無き、理念」・「統率の外道」とも言うべき現組織体制への再確認と方向修正、そして価値観をも含めた新しい基本理念及び道徳的概念の、模索とその確立を要望するものである。
そしてその指針を提示するものであって、三春分団以外の現役三春町消防団幹部諸君及び三春町にはひとつの警告とも認識していただければ幸いであり、幹部諸君が今までの全ての行為の中に在った消防団に対する認識及び、考察方法をもう一度再考し、限られた時間の制約の中で、より有効的な本来の業務に勤しんで貰う為に愚考した。
消防団の自由と権利に密接に関連しているのは、自由で独立した自我としての人格の概念である。それは、自らが選択しない道徳的・政治債務には拘束されないという前提があると仮定してである。
本上申書では、この種の言わば日本国憲法の根源とも云うべき、自由主義とともにこれを創造し構築するような人格の概念にも批判と是正を求めたいと考えます。
在任中、“町火消し“として誇りを持ち、批判的要素を加味し、反抗的に様々な奇行、愚行を繰り返し、三春分団第6部部長として平成11年度、年間118日出動の内約65%を有事出動(火災、風水害、警戒、屯所待機、行方不明者捜索など)し、実戦実働部隊を自負して任期満了退団した、「元三春分団員」としての集大成とその意味、そして再び現役復帰し三春分団団員の羨望のまなざしの意中に居る三春分団副分団長として、また三春分団全員の共通認識の確認として、ここに謹んで上申するものである。




三春町消防団に係わる諸問題の根源・・・・
はじめに、三春町消防団員約五百名(幽霊団員含む)の中で、入団時に於ける気概として、人を助ける、災害から三春町を守るという正義・認識の欠落した団員は、おそらく一人もいないと思う。
これは、消防団以外の一般三春町民が、この非常時に活躍し自分たちを守ってくれると信じきっている三春町民の総意の上にあった筈の自然的な、考え方(認識)であろう。
しかし入団と同時に、何やら、伝統とかしきたり、はたまた儀礼的な行事が無数に存在し、入団以前の認識がちょっとずれていた事に、気が付く団員も少なからずいることは、事実です。
それにもまして、無意味な経験とやらを、重ねていくうちに、少しずつ自分もその伝統やらしきたりやら儀礼的な行事を、無難にこなしはじめ、もう少ししたら、なんなく前年通りに過ごしたら、無事消防を抜けられる、といった、堕胎的自虐的な意識の中で、消防団活動を終了する者も確かに存在する。
こうした、無責任の霧のような仲良しこ良し的な組織に疑問を感じ、反発・反感を持った者は、途中リタイヤするか、其の流れに身を委ねるか、もしくは反発しつづけるか・・・

三春分団の主体と現状、そして、その進むべき方向性・・
自治体消防団組織の主体は、ヒューマンウエアーと言う観点からすると、視点の取り方や言語のさまざまな「技法」プロセスによって規定された、ある意味においては架空のものであり、現実的に実像として存在しているものではない。(他に職業を持ち、発生時における基本的ビジョンの違い。と言う意)
 それ自体がその意味の上において、消防団が普遍性に対して開かれている根拠な訳ですが、それが誰で在れ、その他一切の区別に関係なく消防団というフィールドにおいて、消防団独自の規則と技法が存在・尊守されている限り、消防団の主体の価値を採ることも可能です、つまり、消防団の機能的共同体というものがあるにしても、それはあくまでもその主体的な機能的共同体であって、けして現実に存在する者の共同体ではありません。
 ところが、三春分団においては、実戦部隊の実動隊組織という体質上、この機能的共同体は、消防団のヒィールド上にあって種を異なる共同体が存在する、さまざまなエーストや伝統、ビジョンによって規定された存在する者の運命をも共にする、言うなれば運命共同体にほかなりません。
三春分団の進むべき方向性の先には、自分たちの住む、この三春町を各種災害から守り抜く、という正義感と責任感が確実に存在し、その非日常ともいえる消防団員としての社会的現実と、実社会に於いて職業を持ち家庭を持っているという個性的現実、この相克の狭間において、曖昧な現況の地位・立場にある、唯一、責任感、義務感と正義感、そして、{男気}をもって日夜、其の業務に対応しているのが現状ではないでしょうか.
(消防団に係わる、事件、事故等の訴訟を裁判所判例で見ると、意図的に隠蔽され、任務遂行中にもかかわらず、団員個人の業務上過失および行政処分の場合が大半を占める、・・朝日新聞調べ)

三春分団を取り巻く社会的環境の変化とその対応・・・
平成不況と呼ばれる中、日経平均株価が一万円代を大きく割り込み、社会情勢が不安定視される昨今、サラリーマン化が進む三春町消防団員の日常である社会、勤務先である会社もその影響を少なからず受けている。
時代の推移に伴い、業務以外の所属組織に対して大変シビアになってきていることは、当然承知だと仮定して、話を続けます。
グローバリゼーションと呼ばれる地球規模での経済・文化平準化の現象が進む中、我々が住むこの、三春に於いても、部下である三春分団員の取り巻く環境も例外ではありません。
団員のサラリーマン化が進む中、実際の状況として会社を営む経営者の視点から見れば、消防と言う名目で勤務中に出て行かれたり、休まれたのでは、業務が停止するばかりではなく、会社としての対外的な信用の欠如ともなりかねない。
極論から云うと、「仕事と消防どちらが大事なのだ」ということは、日常的に交わされるのではないだろうか。
そして、どちらかかのウエ~トが社会的な意味に於いて、変革し、実社会人として、基本である仕事・職業が社会環境の変化に伴い、不安定な組織の構成要員を排除しつつある傾向にあるのは、紛れもない現実であります。
また、従来の自営業者に於いても、消防だからと理由で、その生業である仕事を放り出していたのでは、直接的に収入減を生じ、これもまた対外的な信用が欠落し仕事である生業そのものの消滅にも発展しかねない。・・・実際に生じている地域がある。
(後ほど説明するが、三春分団員には、兼農業家がいない為に、今の仕事以外収入が無い、)
それでも多数の消防団員は、義務感、正義感で、曖昧な立場のまま災害があると果敢に出動し、任務を遂行しています。しかし、政治はけしてア・プリオリな普遍性の延長線にではなく、あくまでも地域の消防団的共同体の利害・関心interest~それは過去から未来へと続く機能共同体の中に根付いているのです。

三春分団に於ける消防組織の共同体化とその危険性・・・・・
本来、消防団と言う組織は機能体として発足した組織であるが、ひとつのエリアに存在するこの不可思議な組織は、機能体を超越した共同体、言い換えれば、機能優先運命共同体組織ということである。
一般的な見解を消防団に定義した場合、消防団はその基本的な価値や中心となる構成部分を、外部環境からの恣意的な介入による干渉から護ろうとする作用が働いている。
組織の核となる部分を可能な限り外部環境によって左右されないように保護し、隔離しようとするのである。
外的変化によって組織の核が直接的に影響を受ける事は、組織としての現在の主体性を危うくするものであり、組織存続意義や全体としての組織生存を脅かす事に繋がるからである。
共同体というのは、もちろん「ともに生きる」共同体です、しかしそれは、既に在る「ともに在る」です、そこには、共同の記憶があり、経験の蓄積があり、それに伴うさまざまな感情が存在し、そうした思いの数々をその共同体への帰属の意識が支えています。
そこで働いているのは、基本的には、「同一化」の機能です、ですから、一度共同体が危機に陥るなら、そこでは容易にすべての団員が自己同一化するような叙述的「人間形成」が出現し、それを核にして強度の感情である熱狂が組織化されます。
共同体は、同一化を可能にする「ともに生きる」感情によってささえられ、三春分団はそこに根付いています、それは決してそれ自体が咎められるような事では在りません、むしろ我々の共同体が本質的にそのような傾向をもち、しかし、危機的な状況には、其の危機を口実にして、三春分団は其の感情的傾向の中で盲目的な「熱狂」に組織することがあることに注意しておくべきであるのです。
しかし、何が、誰がそうした注意を払うのか、それは、「良識」でありそして三春分団自身が主体とする三春分団イズムの役割がそこに存在する。
共同体の「熱狂」のなかで「しかし、これは公平だろうか?」と問い、そして共同体の彼方にある、或いは、未来に在る、其の共同体には属さない他者がいる事を忘れずに、倫理的・道徳的に、対三春町民への責任、対自分自身の責任の名に於いて、衰退する共同体としての中にある、三春分団をあえて独立心を高揚し、盛上げようとすること~、
 

三春分団から見た三春町消防団幹部・・・
それこそ、冷静であるべき三春分団意識の役割であるべきです。
三春分団イズムは必ずしも三春町消防団的共同体の利益には奉仕しない、消防団の自己陶酔・自己中心的な感情を三春分団に措いては正当化したり、それを、補強したり、それにおもねたりしない。
場合によっては、組織機能共同体の感情に抗してすら、それをより三春分団的普遍性への主体的主観の方へと開き、導く論理的な道筋の提示をしなければならない。
その道筋提示の背景に有ったものは、平成11年度までの現役消防団員当時までは、三春分団の中に根づいている閉鎖的な組織体質に陥っていることにすら気付かない、もしくは、気が付いても何もしようとしない三春町消防団の団長以下、本部を含む他分団及び他分団長への不信感の存在がある。(広義的表現をすれば全国の自治体消防団への不信感)
しかし、今年度副分団長に就任して感じた事は、平成11年当時の三春町消防団は既に消滅し、橋本団長の言われる「風通しの良い消防」が現実に存在し、私個人の根底にあった「三春町消防団像」を根底から変革しなければなりませんでした。
平成11年度までの「三春町消防団」を例えるに、旧日本陸海軍首脳部を例にあげます。
太平洋戦争時、ガダルカナル戦でのアメリカ軍報告書「ICPOA報告」の中に「日本陸軍№6日本兵の正体」というものがある。
その中に「日本軍士官は軍刀と部隊を操る力でその腕と勇気を見せ、兵士たちは銃剣でそれを示そうとする。日本兵にとって武器と言うものは、重機関銃から戦車まで勝利を得る為の手段ではなく、単なるアクセサリーにすぎず、士官にあっては組織内にある自分地位を守る為に部下を紙くずのように捨てている。」とあるが、現在の三春町消防団幹部諸君にも同じような事が感じ得てならない。
それは、本来の消防団業務のプロセス(手法)をビジョン(目的)と取り違えている点である、例えば、現場を無視した規律訓練や中隊訓練、そしてポンプ操法などに見る過剰とも云うべき“こだわり”とその練習など、非実線的かつ非人道的行為の命令及び行使である。少しでも現場を経験した事がある者なら、この無意味さを誰でも判るはずなのだが、判らないのか、判っていても変えようとはしないのか、いずれにしても日本軍士官と少しも違わないのが現状である。
非常時に対する根本的な消防団としての主体性的価値観と考察観の相違が、三春分団と他分団の間に確かに存在する確信は、団長、副団長、本部分団長、他分団長との日常の意見交換や、有事の際での自分の任務としての仕事的認識欠如の中で確認する事が出来る。
これは、役職の上の見解か個人的見解か定かではないが、前者だとすれば組織論、後者だとすれば個人論。この事こそ、本上申書の核とも言うべき論点。
三春分団及び三春町消防団員を取り巻くメンタルな問題、消防団構成員としての組織論的社会的現実と実社会・個人的個性的現実の相克と葛藤については、そのバランスの上に均衡が保たれている。
上記で云いたいのは、そのバランスが崩れてきている事実を明らかにして、不規則な非常時に主体的な任務に就く消防団員へ、その実質的本質を無視するかのような不必要・無意味な儀礼的行為や無駄な競技、単なる見栄の対外的折衝について、撤廃もしくは改革的改善の要求を三春町消防団と三春町に拠り明確にする為、この上申書全般に渉って列記するものである。

三春分団の組織としての消防批判とその責任・・・
三春分団における価値観をも含めた主体は、そのポジション・スタイルによって決まるものであって、感情という存在の厚みを持っていません、それだからこそ、逆に超越的な視点が持てる訳ですが、しかし、三春分団の言説を行う現実的な個人は、それぞれの思とともに運命共同体的意味合いの三春分団の中に存在し、尚且つ、個人のさまざまな事情と感情をもっています。
そうした存在の拘束を三春分団、いや、三春町消防団の言説が完全に淘汰することは、ことが理系の言説ならばともかく、文系・個人が人間文化の担い手である限り、現状況の価値観をも含めた秩序の中では、とても困難なように思えます。
三春分団が行う三春町消防団に対する政治的な行為の最も基本的なものは、実情を把握した上での、批判に他ならないわけですが、しかし、批判が正に対立の構図の上に成立するものである以上、そこには常に感情的な攻撃性が忍び込む可能性があります。
消防団員という社会的現実と一般社会・家庭における個人という個性的現実、この不条理とも云える狭間にある、消防団員は、現実が確実に発生している現状をふまえて、批判というのが自然発生的に生まれてくるとおもいます。
実際、現実に行われている批判の多くは、理論的であるよりはるかに感情的なものであることが多い、論点の相違が、いつのまにか、相手そのものの全面否定となったり、一見論理的なようでありながら、結局は、自らの恨み事に依拠するものであったりする言説が横行していますし、それを正式な形として書面をもっての批判的行為が余り見当たらない。
そこには、男としての美学「男気」とやらが存在し、(お付き合い意識)も手伝って、運命共同体の「一番の欠点」が発生してきました。
しかし、現三春町消防団が抱える、又、抱えるであろう問題のひとつ・「団員減少」が浮き彫りになりつつある現状を考えると、「男気」だけでは乗り切れるものでもなく、まして、団員を採り巻くハード的状況や、ソフト的状況を配慮した場合、どうしても批判を唯批判としてだけではなく、ひとつの社会的問題と定義して、その提示をも含めた批判行為をしていかなければならないのではないか。
私が三春分団在籍時に行った一連の実践的消火訓練なども、其の批判の一環としての意味合いとして捉えていた部分も少なからずあったように思えるが、機能的組織の本質として、火災・災害出動に対して「命をかけろ」という考え方では、消防活動は成立しません。
恐らく三春分団の誰一人としても付いては来ないでしょう。それは団員にもそれぞれ家族がいるわけですから、「ここで死んでくれ」と云われたところで死ぬわけには行きませんし、「火傷や怪我をするかもしれない」と云われても現場には行けません。
消防団員万全だから出動する、無事帰還出きる技術と経験が在るからから出動する。
逆に云えば怪我等の事故が起こるのは万全な態勢や、曖昧な考え方で出動していないといえる。その「万全な態勢の創造」の延長線上に一連の合同訓練があり、その本質を確立できると考えます。
いい例として、
NHKの番組「プロジェクトX」のホテル・ニュウジャパン火災の時のレスキュー部隊を紹介した プロジェクトX 平成13年5月22日放送
 「炎上 男達は飛び込んだ・・伝説の消防士たち」の中での隊長の談話、
「消防で一番難しいのは、現場に着いてからの10分間なんです。それでほぼ決まってしまう所があるので、まずはその10分のことを考えます。」
 よく言うんですが、隊員ならば「10分間にどういうふうに動いたか」、指揮官ならば「10分間にどういうふうに命令を出し隊員に行動させたか」を自分で振り返って反省してみると自分の活動がトータルで良かったか悪かったかわかるもんなんです。
まず自分で全体的な動かし方のシュミレーションをするんです。さらにその中の隊員一人一人の能力を考える場合もあり、具体的に何が足りないのか、どんな訓練をすれば実践で能力を発揮できるのか、と言った事を想像していきます。やはり隊員一人一人の能力をキッチリ上げて置かないと、全体的なレベルアップが果たせない。
指揮官は現場に着く前にシナリオをつくります。シナリオを創ると言いましても、それを組み立てる時間は限られています。到着するまでの消防車の車内で想像します。現場がこうだったらこういう手を打っていく、と言う風にあらかじめ予測を立てる。そして現場に着いてから状況を見て修正していけばいいんですよ。ただ現場には一つとして同じ状況は無いわけですから、いくらマニュアルがあっても通用しません。だから基本が大事なんです。小さな基本の一つ一つをどれだけ自分の中に持っているか。それを積み重ね、頭の中で組み立てることによって、きっと一つの道が見えてくると思います。
不安というものは、我々現場では最も避けるべきです。災害現場では、あれこれ迷ったり、自分の気持ちに不安定なものが出てきたりすると、どうしても命令や行動のひとつひとつが中途半端になってしまいます。そうなると、失敗や怪我の確立が非常に増すことになるんです。
 現場にて、あせって失敗してやり直すのと、ゆっくりでも一回できっちり仕上げるのでは、時間的にも一回のほうが早いわけで、この早く仕上げた時間差が、次の行動に移る際に気持ちの余裕の違いとなって現れるんです。
 「訓練は現場のように」という言葉を我々は口にします。どんな修羅場に行っても、訓練のように落ち着いて動けたらそれはすごいと思うんです。
 現場では、マニアルにはない事柄、例えば機転を利かせるように努力します。現場では色々な物を使って行動します、にっちもさっちも行かなくなった時、「このベルトを使って」とか「このホース」とか。
「東京消防庁特別救助隊隊長 高野甲子雄の談話より」

上記の事柄などこそが、私が「万全な態勢の創造」の延長線上を経て、三春分団幹部に求めた事柄であり、己が求めた三春分団の本質を考える時、それは、三春分団としては、その本質は普遍的行為であるにもかかわらず、三春町消防団に対する批判的要素を考えての行為だとすれば、批判としての自己満足であり、問題提起にまで昇格しえなかったことについていささか責任を感じます。

三春分団以外の三春町消防団の資質批判・・・
三春町消防団(在郷分団)と三春分団を概念、価値観、理念を含めた全てに於いて対比比較を考察するにあたり、幹部の方向性の相違が一番に感じられます、これは、入団時からの問題ではなく、各分団の中で歴史的背景をバックに脈々と育み根付いてきたものに他ならない、在と町場では歴史上の大火経験(多数の住宅類焼)の有無により、“恐怖にも似た危機感”の欠如から、三春分団に於ける“町火消し”としての消防に対する認識と、地区の“若衆組“としての消防の認識では、同じ消防団としてヒィールドにいるとはいい難い、又団員個人の資質にも同じことが言える、それは、実社会での仕事に対する考え方である。
事も在ろうに団幹部が公の場で公然と、「部長をやる為に仕事を辞めた」とか、他の後輩幹部に「消防に出やすい仕事に替えろ」(この場合の消防とはあくまで儀礼的消防の意味で非常時のことは考慮されてはいない)とか、消防団幹部として、団員の個にまで入り込むような事を云っていいものかと人間としての資質を疑はざる終えない、又三春町消防団はこのようなことを平気で言えるような団幹部を容認している、これが三春分団以外の三春町消防団とそれを支える自治体消防、三春町当局及び行政の体制だとすれば(もちろん三春分団以外の消防団員の全員とは言わないが、三春分団内での他分団に対する認識として)、
いや、東北北陸エリア限定の自治体消防団の体制だとすれば、三春分団は、其の本来の業務責任の名において、現状の自治体消防団組織から離れ、あくまで“独立三春分団“もしくは、“三春基幹分団“として自立、独立して存在し、活動して、三春町民そして家族の為、活動し続けるしか方法が見つからないのではないか。
 
自己革新組織としての原則理論・・・・
機能的共同体・消防組織が継続的に環境に適応していく為には、其の組織内における一幹部の個人的感情、利権は黙殺し、あくまで、其の組織・機能態的共同体に主眼を置き、組織は主体的に其の戦略/組織を環境・時代の変化に適合するように変化させなければならない、つまり主体的に進化する能力の在る組織が、自己革新組織である。
最近の進化論の有力な考え方のひとつは、進化の普遍的な原則を、この自己革新組織という考え方に求めている、組織は、そういう行為・行動を通じて日々進化を遂げていく、組織内における社会的現実と個人という個性的現実の相克の不条理が存在する消防・消防団組織もこの例外ではないのである。
全ての消防団員が持つ、口には建前上云えないポンプ操法批判などは、先の大戦中に行われた神風特別攻撃隊の根底にあるものと似て非なるもの的感覚が見受けられます。
 人間が、共同体の構成員である事を最大且つ最終的に確認できるのは「共同の死」を意識した時であると言われます。この瞬間にこそ、全ての機能は失われ、人間はただ共同体の構成員と言うだけの存在になる。
 太平洋戦争でアメリカ軍と戦ってみて、言い訳もつけないような機能上の弱体を思い知らされた旧日本陸海軍は最後に、この共同体意識のみに没頭し、共同の破壊を求め、これを拒むことを許さなくなってしまった。
 日本海軍に於ける、敷島隊・大和隊にはじまる神風特別攻撃隊、これを国民性という観点から見るならば、特攻作戦を可能にした精神的背景には稲作民族の体質から生まれた歴史的大家族主義に伴う強い愛国心、美化された武士道の影響、昭和初期の「神祇院」による国民思想統制の上に成り立つ「戦陣訓」に表徴される戦前教育、また、特攻隊への志願者には他人の評価を過度に意識する世間体という拒否・選択を許さぬ「ムラ」社会の恥意識などが加わっていたのではないだろうか?また各地で相次いだ玉砕、戦艦「大和」の沖縄出撃等は皆それの現れではないだろうか。
 最後まで特攻を拒み、通常攻撃に徹した海軍131航空隊美濃部正中佐や、インパール戦で独自の判断で撤退した陸軍第二十八軍桜井中将など例外はあるが、この種の「死を恐れぬ精神」を勇気と言う人も居るだろうが、事実は共同体的拘束から抜け出せなかっただけなのではないだろうか?
 このために日本陸海軍は「死に急ぎ」となり、反省すべき事を反省せず、一部の人間の保身のために冷静な作戦思考さえ失った戦争指導者の指示により、多くの将兵が戦死・餓死・戦病死したのが、このような状況下で発生したのだからなんとも切なく、割り切れない思いがします。
適応力のある組織は、環境を利用して絶えず組織内に異変、緊張、危機感を発生させている、或いはこの原則を、組織は進化する為には、それ自体を不均衡状態にしておかなければならない、といってもよいであろう。
不均衡は、組織が環境との間の情報やエネルギ~の交換プロセスのパイプをつなげておく、すなわち開放体制にしておく為の必要条件である。
完全な均衡状態にあるということは、適応の最終状態であって組織の滅亡を意味する、逆説的ではあるが、{適応は適応能力を締め出す}のである。もちろん、ある時点での、組織の全ての構成要素が環境に環境に適合する事は望ましい、しかし、環境が変化した場合には、諸要素間の均衡関係を突き崩して組織的な不均衡状態を作り出さなければならなくなる.均衡状態から外れた組織では、組織の構成要素間の相互作用が活発になり、多様性が創造されていけば、組織内に時間/空間的に均衡状態に対する確認機能や破壊・疑問が自然発生的に起こり進化の環境適合性がはじまるのである。

個々としての三春分団の高度成長・・・・
三春分団は、組織として、他の組織(全国的視野を持って)と比較して組織内外に絶えず緊張が発生し、不安定な組織であると考えるかもしれないが、それは、平時だけのことで、それは、非常時には企業組織が常時市場とつながりを持ち、そこでの競争に晒され、結果のフィ~ドバックを頻繁に受けるという、開放体制の組織利点作用が働き、個々が切磋琢磨し、問題意識が個々の中に芽生え、其の問題に対して各々が、奮起・努力するものと考える様に。だからこそ、消防組織三春分団は、平時にいかに組織内に緊張を創造し、多様性を保持して高度にして不確実な非常に対して備えられるかが問題になってくる。
このような、組織内に緊張を創造する為には、客観的環境を主観的に再構成或いは、演出する分団幹部の洞察力、異質な情報、知識の交流、人間の抜擢などによる引率者の消防以外(一般社会人として人格形成を組織体制によって向上・構築という意味)をも含めた人格向上体制組織構造が必要不可欠なのである。
さらには、一切の哲学的思弁を排除して、きわめて現実的にこの問題を考察するならば、理念が現実に内在して現実を動かすと言うのは、理念が達成せらるべき目標として現実の人々の、現実意識の中に宿り、現実人の意欲を方向うずけると言う事なのである。
それも、一人または、小数の人々理想として描き出されているだけでなく、消防団に在籍する大多数の人々が、同一の理念を達成すべき目標として渇望し、これを共同の意欲の対象とし、共同の行動によって、其の理念を実現していくことなのではないのだろうか。
多数の人々が、同一の理念を意欲の対象とし、それに向かって主体的に働きかけるとき、そこには、統一のある行動が現れ、それが新しい機能共同体を作り、組織を動かす原動力となる、この力は、対抗する力が在ればあるほど、これと抗争してこれを制圧し、場合によっては現存する大きな意味での現消防組織を粉砕する革命力(あえてこの言葉を選択)ともなって成就するのではないかと考えます。

三春分団イズムの三春町消防団への移入と未来へと続く正義・・・・・
そのために、三春分団の幹部は、三春分団と言わず、三春町消防団、牽いては、東北・北陸・北海道地区限定自治体消防組織全てに対し、儀式的行事・競技的行事・団員の地位向上(官給品、団員報酬、社会的身分)などの消防団が抱える事柄を現実の問題として捉え、非日常的組織の部下を持つ組織人として、また、一人の人間として、改善提案及び改善要求しなければならない最重要課題であると思う。
火災や、風水害、行方不明者捜索など、厳密な意味に於いては、24時間、年中無休体制での任務の遂行、これは実社会での仕事や家庭を投げ打ち、分団長の命令での出動、または、待機、この実情を考えると、義務感とか正義感、使命感と言うありとあらゆる言葉などそこには存在せず、「唯そこに災害がある、助けを必要としている人がいるから、」、古い語を借りて云うならば、文字通り「滅私奉公」と云う事に成るのではないか。
この現時点ではまだ自治体消防発足当時の体制が奇跡的に現存(実存組織体制、人数、平均年齢、そして正義)するこれらの地域の現役消防団員やこれから入るであろう新入団、に対して上級現幹部がこの諸問題を、責任在る立場、権限を持って模索そして、打開策の確立を目指し行動を示す事により、非常時における人間関係が向上しその本来の業務「町火消し」である筈の「消防」の本質的かつ実質的主体性が受け継がれ、三春町民に対しての期待への受態性、そして、団員が胸を張って「三春の消防団です」と自信を持って答えられる日がくるのではないだろうか.






「平成15年度春季検閲式実施に係るレポート提出について」

これまで、三春町消防団および三春分団に対しての、主体的な倫理観をも含めた組織的理念・概念論を提示してきたが、まとめに変えて、三春町消防団が現在もしくは、将来的に発生するであろう様々な問題を、具体的に提示するものとする。
※ この具体的な提示は、平成十年度末、当時第六部副部長だった私が、第六部部長の許可を頂き、三春分団第六部からとして、三春分団長宛に提出した「三春町及び三春町消防団への要望書」に加筆したものである。

@平成15年度春季検閲式について
今年度より、春季検閲が五月の第三日曜日に移行しての挙行に関しては、まず一連の規律訓練の意味を充分とは言わないまでも、ある程度の部分までは副分団長である私を始め、三春分団幹部には周知できたのではないかと考えます。
それは、今までより延長された一カ月と言う時間の中で私を含め、分団幹部諸君が、消防行事を自問自答の中で「もがき苦しんで」考え、幹部間の中でぶつかり合いながらも、互いに自己充足しあいながら、ある出口を漠然としながらも目指す道筋の行程が確立されたということであります。
特に今年度、三春分団は中隊訓練の当番でしたので、この中隊訓練実施に対する訓練の過程に於いての一般団員をも含めて、内面的な葛藤は想像を絶するものがありましたが、三春分団110名、七部体制において、それを克服・超越して文字通り一致団結して今回の検閲中隊訓練に臨んだ結果が、今回の高い評価として現れたのではないかと考えます。
諸悪の根源は単に、この儀礼的なこの行事に尽きる、春季・秋季検閲の一連の行程・路上閲団・三春グランドまでの行進・通常点検・中隊訓練・ポンプ操法・各種表彰・挨拶そして、三春町消防団一斉に行う、慰労会、早朝より約17時間以上。
まず、時期である、秋季はまだわかるとして、問題は春季でした。
まだ全国的に乾燥注意報が発令される中(自治省消防白書・過去十年平均の四月に於ける火災発生率・約14・38%)の挙行は、正に無知の知、暴挙としかいい様がない。
また、慰労会の挙行である、約500名の三春町消防団のほとんどと言っていい位、慰労会に参加し、酒を飲んでいる状況を冷静に見てほしい、そんな時に、もし火災など発生したら消防団としてどのような対応で出動をするのか?
命令とはいえ、部下への下命で飲酒運転での出動?現場での飲酒幹部による指揮?冷静に見れば、日本国憲法道路交通法にも触れる行為であり、三春町民にたいして無責任すぎる背反・違背行為にあたる。
正に違法である。それを、消防団としてどのように認識しているのか。
静岡地裁の判例で、飲酒の上でポンプ車での出動途中に単独人身事故が発生した、この事故で同乗の消防団員11人が重軽傷を負った。この事故では、任務遂行中にも拘らず、理不尽な判決が言い渡された、運転手のみ道路交通法での行政処分が確定、命令者は処罰対象外、重軽傷を負った団員への賠償については後日自治体災害給付が摘要された。(朝日新聞社調べ)
秋季検閲を取り止め、「消防ふれあいデイ」として、防災訓練と三春町民参加型に変更された、三春町消防団団本部のご英断には敬意を表します。

@消防行事年間スケジュールについて
春季検閲式の「五月移行の一番の意味合い」は、火災発生率の低い時期での消防行事遂行と言う事である。この三春の地にて商売を営んでいる大多数が、4月の花見の時期に主眼を置いています、又、置くべきと考えます。
例えば、今年度四月二十日に行なった「三春町消防団幹部・入団三年未満団員研修」を見てみます。
現在、三春町消防団全体を見ても、人員確保が困難とされる昼間出動の団員構成の中で、主力を成しているのが三春分団の自営業(商店)者団員であります。
将来的にも、この自営業者消防団員に対する負担構図は変わり様がありません。
三春町消防団三春分団幹部・団員の育成の為にも、商売が傾いては消防どころではありません。
是非「花見の時期」の消防行事立案は避けて頂きたいと考えます。
忙しいなら欠席すればいいと言う問題ではないと思います。
消防団員には消防団という確立した明確なスタイルは存在せず、三春分団団員百十名居れば百十名の消防団が存在しており、それぞれの消防団が構築されています。
そのそれぞれの中で構築された消防団と消防団員の個々の責任に於いて消防団の各行事に対しての出欠が、それぞれの問題提起として存在している事実を考えて頂きたい。
またそれを踏まえて、この花見時期に消防団の訓練を執り行うと言うのはいかがなものか再考していただければなあと考えます?
折角、春季検閲が5月の第三日曜日に移行したのに、桜満開が予想されるこの時期に何故にして行なうのか?三春消防団の将来的に予想される総括した問題として時期の移動を考えて頂きたい。
また、新幹部・新入団員の規律訓練等は、各分団正副分団長に一任してもいいのではないでしょうか?
また、冬季に於ける空気乾燥期の火災発生率・危険度の高さは、今更私が言うまでも無く、承知の事と話を進めますが、昨今の不審火も加味して、三春町消防団を取り巻く環境は、戒厳令前夜的・危機的状況を呈しています。
このような状況下での11月から4月まで、所謂火災発生多発時期に、消防団の行事(二月予定の消防学校入校や、分団長研修、副分団長研修、三月末の年度締めなど)
を組むと言うのはどういう了見なのでしょうか?
団幹部を始め、三春町二万人の生命と財産護持の一翼を担っている三春町消防団員とすれば、実践的な訓練や、実質的な出動・警戒などに時間を費やすべきではないかと考えます。また三春分団としては、それを実践しています。ここで団本部はじめ幹部諸君に再考して頂きたいのは、様々な消防行事を火災発生率の低い月に移行すべきではないかということです。当然、火災発生率の低い月が消防行事で込み合います。これは無理な事ですよね、では消防行事を簡略化していけばいいことではないでしょうか?


@ポンプ操法について
自治体消防団発足時(約55年前)は、有効的な団員技能向上の手段であったが、いつのまにか、単なる競技会種目に成り下がり、実践的消火活動には大変不都合な演目である。また全国大会出場予選と称して、何ヶ月も「演目の為の競技」の為の練習をする、これこそ、三春町民に対しての背徳行為の何者でもない、何故なら、何ヶ月も練習し、自分たちを火災から守ってくれると思って頼もしい消防団と思っていろことに在る、それは、ポンプ操法を実践訓練と勘違いしているということである。
来年度より「水出しポンプ操法」移行すると聞きましたが、全国的に見れば、福島、新潟、長野、熊本など団員の数が四十七都道府県の中でも段違いで人数の多い県の上位四県が、これから「水出しポンプ操法」に移行するというのは、余りにも遅過ぎたのではないでしょうか?しかしこの移行を決断された評価は高いでしょう。なぜなら阪神大震災移行日本国民が防災安全に対しては、敏感になってきている今、真に消防団の在り方を国民に裁決を仰ぐ絶好の機会と考えるからです。
また、三春分団では考えられないが、早朝4時から3ヶ月も練習したとか、毎晩遅くまで何ヶ月もとか、これでは普通に社会で仕事を持つ健全な若者が聞いたら、もうそれだけで消防団に対し拒否反応を示すのは当然の解釈だと思うし、先に言及に及んだが実社会では、受け入れられない。
これこそが、現在日本全国にある消防団が抱える最大の問題である、「団員減少問題」の一番の原因と考えられる。
三春分団検閲慰労会の席上でも、各字の区長さん(特に今年度新任区長)から口をそろえて言れていたのは、中隊訓練の軍隊を連想する嫌悪感と、「水出しポンプ操法」を聞いてからの「現行ポンプ操法」の無意味さからの失望感でした。
この現実を改めて私たち消防団幹部は、消防行事の一つ一つを税金を払っている一般住民の目線まで掘り下げて、再考していかなければならない事柄なのではないでしょうか?

@中隊訓練
これは北朝鮮のマスゲームか、男同士のホ~クダンスか?と言いたくなる、命令一過での消防団活動はわかるが、愚の愚的な行為だと思いませんか?あれを三春町民全員が見たら、果して何人の人が認めるでしょうか、また、自分たちを守ってくれるであろう消防団と思うでしょうか?三春町民の大多数の方々は、三春町消防団に対して現実的実態を知らないままに、今でも、自分たちを守ってくれると信じています。
今回平成15年度春季検閲式に於いては、三春分団が中隊訓練を順番により勤めましたが、私としては「最後の中隊長」を自任しております。来年度は、ポンプ操法も水出しに移行し、検閲式では時間の制約という物理的な面と、三春分団以外分団の人数不足などの理由から、是非にも中隊訓練を廃止して頂きたいと接に要望するものであります。

@地位の確立
限りなく曖昧な位置に属する特別地方公務員と言う立場だが、出動一回800円では高校生のアルバイト時給にも満たない額の、年中無休、24時間体制の消防団員出動報奨金なのか?また、報酬金の額にしてもあまりにも少なすぎるのではないか?お金が目的では無いが、この有事の際の消防団活動や儀礼的消防団活動による拘束時間によって生じる団員の損金は、計り知れないものが在る。

@装備・備品
三春分団は例外(自己部内会計によりアルミ外皮、ヘルメット、アルミ長靴を購入、それは部下である団員の安全確保という認識から、)として、有事の際の現場での服装である、法被・ヘルメット・長靴では危険この上ない、また、いまどきお祭りでもないのに法被ではないだろう、帽子も同じく。また、ホース径の違いなど、もう少し広域分署の合理的・物理的・近代的な部分を模範としてもいいのではないか?


@個人レベルの生命保険
 現在、消防団員が私的に生命保険に加入しているが、消防団員として災害に出動し負傷・死傷した場合、現在加入の生命保険は平常生活という条件のもとでの契約であって消防団員という非常時に活躍するという組織構成員を前提としてはいないため、払戻し請求金額は全額出るとは限らないと言う事実をご存知でしょか?
以上、上記のことがら全てを即時是正しない限り、三春町消防団は消滅の危惧が起こりうる可能性が多大である。

「心よりのお願いと概念的改革案提示」
今、非常時の組織として成立したはずの消防団が、平時の対外的内的見栄か、それとも、地位の私物化か、その本文を忘れ長い時間の間に少しずつ其の主体的目的から、他与的条件、自己中心的な個与的条件の中でずれが生じてきた。
現消防団幹部には、マネジメントは有っても、リーダーシップ(現場指揮能力及び災害非常心理克服)が無いように感じられる。
マネジメントとは、目の前に有る梯子をいかにして効率よく昇るかを考える仕事であり、リーダーシップとは、その梯子が正しい場所に架けられているかを見極め判断する仕事である。どんなにすばやく梯子を昇っても、その梯子が間違った場所に架けられていたら、目的地に達する事は出来ない。どんなにマネイジメントが優れていても、リーダーシップが不在であれば結局のところその組織は無力にすぎない。
それは、旧日本軍とその政府のように、本来は目的だったはずの事柄を目標だと思い込み、ノモンハン事件などの失策失敗の教訓を無視して、それを疑問にすら考察出来ずに、太平洋戦争に突入し暴走自爆の末、国を滅亡に追い込む結果となったプロセスのようである。
全国的に行政改革が模索されている今日、全国に先立ち我が三春町がその先陣を切り、行政改革の行動に移った。行政が変わろうとしているこの時に、消防団も変えなくてはならない時期にきているのではないか、行政が消防団に遠慮し、消防団が行政に遠慮するという最終責任の擦り合いを超越し、三春分団が、三春町消防団及び三春町を引率して、全国の自治体消防団に先立ち組織改革の先陣を切り、全国の自治体消防団へ、発信することが、自由民権運動の発祥の地三春町に在籍する三春分団の義務であり、使命なのである。
 四年前、私が現役当時は訓練部長という事で旧町内のいたるところで、中継訓練等を実施いたし、最強の軍団に仕上げたの自負しておりますが、私が副分団長に現役より推挙されたと云うのは、その成長を見届けろと言う事なのかなと考えます。
アメリカのコンピュウターの会社にIBMがあります、その会社の社章は野鴨だそうです。これはインデアンの教えの一つで、ご存知のように野鴨とは本来渡り鳥ですが、ある池には親切な老人がいて、餌をやりつづけていたそうです。しかし鴨たちは、あるときから一年中餌をもらえるならとその池にいついたそうです。
やがて老人が亡くなると餌が得られなくなり本来の習性で遠い餌場まで飛び立とうとしましたが、すでに翼は長距離の飛行に耐えられるだけの筋力は残っておらず、その池のかも立ちは全て死に絶えたそうです。
この物語の中でインデアンたちが言いたいのは、「現状に甘えず、常に状況を把握し状況の変化に対応できる力を養っておきなさい」ということなのでしょう。まさに消防団当てはまる「ポンプ整備の重要性」を説く「教え」だなあと考えます。
 先ほども申し上げましたが、実質的な消防を目指す三春分団イズムの継承と、更に高度な資質の向上ならびに伝承が私の使命ではないかと考えます。

改革を妨げる壁として、
一・・・・自治体消防団そのものの制度の壁
一・・・・物理的な壁
一・・・・意識(心)の壁

 組織改革とは、この三つの壁を打ち壊すことである。そこためには、
1、 平時、有事に係わらず情報の共有化。
2、 団、分団での様々な問題に対し、討論を活発にする。(全員参加意識の向上)
3、 その合意を尊重する(現場の声を聞く、コミニュケ回路を太く、短く設定)。
4、 現場(部そのもの)を重視する。(トップダウン)
5、 三春町消防団の指導者の信頼回復。(ボトムアップ)
つまり
   WHAT・・理念・目的の再確認と認識。(実態の報告)
   WHEER・限界の確認と認識。    (方針の明示)
   WHY・・・障害の確認        (自己限界の明示) 
   DO/・・・可能性の追求。       (協力の要請)
 以上の項目を、三春町消防団の幹部と称する方々によく理解してもらいたい。

無責任な組織にならない為にも三春町消防団の指導者ならびに関係者に対し、楽をさせたいと言うのではなく、考察方法をもう一度再考し、限られた時間の制約の中で、より有効的な本来の業務に勤しんで貰う為、そして貴重な限られた時間を、有効に活用したいと言う事を、十分理解した戴きたい。
そして「耳鳴りの彼方に」町火消しその視点と正義・・・と題して、三春町消防団が暴走自爆する前に、謹んで上申するものである。

耳鳴りのする、愛すべき三春分団の後輩たちの為、そして三春町町民である家族の為。

「耳鳴り・・・」この題名は、三春分団員の会話の中で、
「シー!」「何か聞こえる」「サイレンか?」「なんだ換気扇か、」と言う語を、よく耳にする、耳の奥にサイレンの音がこびり付き離れないということである。
                           
END                       


| ryuichi | 06:59 | comments (x) | trackback (x) | 「戦陣藻」心苦雑記 |