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「山本五十六記念館」 越後長岡



先日、総会シーズンということもあり職業柄の総会出席のために越後長岡まで出張と相成りました。

折角ですので、時間を見て長岡市にある「山本五十六記念館」と「山本五十六誕生の地」に行ってまいりました。





記念館には、何といっても連合艦隊司令長官山本五十六ら11名が搭乗した海軍一式陸上攻撃機の左翼部分撃墜された当時の姿のまま保管されています。

また、山本の生家である高野五十六時代から戦死時までタイムラグ的に、手書きや書など様々なものが紹介されています。





山本五十六は、当時の欧米事情にも詳しく、戦略的に見て日独伊三国軍事同盟や日米開戦に最後まで反対していました。
戦術的にも航空機戦力に早く着目し海軍航空隊設立に尽力し、日米開戦時には「短期決戦・早期和平」という日米間に於ける国力の差を冷静に分析していました。

広い視野を持ち現実的な作戦計画を実施しようとしたことなど、旧日本海軍軍人の中でも傑出した名将としての評価は今日でも高く、海外においても広く賞賛されています。

また、明朗な性格で、部下や同僚から非常に高い信頼を寄せられた人物でした。


世界海軍軍縮会議予備交渉に出席する際に、郷土長岡の先人河井継之助の小千谷談判を持ち出し友人に語った言葉

私は河井継之助が小千谷談判に赴き、
天下の和平を談笑のうちに決しようとした。
あの精神をもって使命に従う。
軍縮は、世界平和、そして日本の安全のため、必ず成立させねばならぬらぬ。






日本海軍の山本五十六と言えば、太平洋戦争初期の旧大日本帝国海軍の連合艦隊司令長官で真珠湾攻撃の立役者として知らない方はいないはずですね・・・
ミッドウェー海戦後のラバウル航空隊の活躍する南方戦線視察・激励で昭和18年4月18日午前7時30分すぎ、ソロモン諸島バラレ島におもむく途中、アメリカ陸軍の戦闘機の襲撃をうけ墜落し、戦死してしまいます。






山本は、日米戦争に反対していたのにも拘わらず、戦時特別編成である大日本海軍連合艦隊司令長官という立場から真珠湾攻撃の作戦立案に携わる事になりますが、その山本の苦悩が洗われている講演があります。

昭和14年に山本五十六が母校の長岡高等学校で講演したときの言葉を紹介いたします。

私は諸君に対し銃をとって第一線に立てとは決して申しません。
あなた方に希望するところは学問を飽くまで静かな平らかな心を持って勉強し
将来発展の基礎をつくって頂きたいと熱望する次第であります。
どこまでも気を広く持ち高遠なる所に目標をおいて日本のため進んでくださいます。






「山本五十六長官」を護衛していた六機の護衛零式海軍艦上戦闘機

坂井三郎と共にソロモン戦域最多撃墜数保持者として日本海軍撃墜王と称された、新潟県東頸城郡安塚村(現上越市)出身の杉田庄一飛兵長も両翼端を切った最新式の零戦32型で護衛任務に臨場していました。

戦後、護衛戦闘機隊の一人柳谷氏によると当時、山本五十六が視察した地域は「圧倒的に日本軍が優勢な制空権を確保していた」ようでパイロットたちは「自分達の庭」と思っていたと語っています。当時は、柳谷氏の話のように護衛など必要ない空域という認識しかなく、零戦6機護衛隊も「形式的なものだった」という認識が司令部や全パイロットたちにもあったのではないかと考えています。


二〇四空護衛戦闘機隊

第一分隊
分隊長 森崎武中尉
二番機 辻野上豊光一飛曹
三番機 杉田庄一飛兵長

第二分隊
分隊長 日高義巳上飛曹
二番機 岡崎靖二飛曹
三番機 柳谷謙治飛兵長(終戦まで生き抜く)


被害 一式陸攻二機撃墜
戦果 P38二十四機中六機撃墜





山本五十六記念館から徒歩3分の近さにある「山本元帥誕生の地 山本記念公園」には山本の胸像があり、山本五十六の生家である高野家が保存されています。


生家を見ると「これで冬が越せるのか?」という質素なつくりの家でした。

しかし、長岡藩士の家らしい質実剛健を表すお宅です。





海軍兵学校の体格検査で「特技は何だ?」と聞かれて、

「はい、やせ我慢です!」と答えたという。

苦しいこともあるだろう。
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
男の修行 山本五十六語録


好きな言葉です。




人生全てが修業であり、生きている間はどんなに辛いことや理不尽なことがあっても、簡単には「逃げ出さず」「愚痴をこぼさず」「弱音を吐かない」それが男子たるもののあるべき姿ということなんだろうと思います。

これは正に自分との戦いであり、ただの自己満足であるかもしれません。
しかし、自分には負けたくないものです。







日本海軍連合艦隊司令長官 山本五十六大将訓示
下記は、三国同盟成立直前に反対演説した時の連合艦隊司令長官 山本五十六訓示です。

私たちは一口で云うならば、国家の忠実な番犬であります。
日本と云う邸内を侵すものあれば、その時は身命を投げ打って相手に挑んで行く任務が在って、もともと政治には拘わりたくないのであります。
しかしこの日本の邸内を窺う賊は一名ではありません。
出入り口も三つか四つ在りますが、哀しいかな番犬は一頭で在る場合、この番犬はどんなに走り回っても護りキレ無くなるので在ります。
とは云っても賊の侵入を見逃す訳には尚まいりません。
せめて政治家が、他の口をしっかりと鉄扉で塞いで於いて呉ますなら番犬は喜んで常に一つの関門を護り得るものと存じ得ます。





宿泊は、定宿にしている燕三条在下田村にある越後長野温泉「嵐渓荘」です。

いつ行っても癒されます。




ここでゆっくりしたいから新潟の出張に来ているようなものです・・・と云ったら怒られそうですが・・・





帰りに、女将さんより嵐渓荘特製「山の塩羊羹」を頂きました。



嵐渓荘の温泉「強塩泉」を練り込んだ白隠元豆の塩羊羹です。


お菓子屋の私が食しても絶品です!




勉強しま~す。




また、加茂市に「善作茶屋」の“ところてん”が絶品です。




時代劇に出てきそうなロケーッションは最高!

息子が新潟大学に入学したもので、よい身近に感じる新潟です。

もっとも、私の母方の祖先(ひい祖父)は越後(本籍は新潟市西区)の小山氏出身ですので、DNAの中に何処か越後の遺伝子が組み組み込まれているせいなのかもしれません。





前日も、一人暮らしをする息子のアパートに食材を届け、ゴミを片づけて来ましたが、やはり初めての一人暮らしです。

心配が先に立ってしまいます。

たまには息抜きに「嵐渓荘」にでも行かせたいと思っています・・・


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 04:56 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録::男の隠れ家 |