2017-07-17 Mon
旧三春藩領内総鎮守 大元帥明王社(現三春城下新町鎮守田村大元神社)の夏季例大祭が斎行されました。
祭礼の一切を取り仕切るのは「別火講中」です。
心身を清めて精進生活のなかで、つまり宵祭りから俗世を離れ、清浄な火を使うことから「別火」と呼ばれてまいりました。
祭典掛は、宵祭りから直会まで2泊3日の御奉仕となります。
年直しの数えで40歳までは講中としての資格があり、最後は大世話人として祭礼を仕切り退講ということになります。
別火、古くは別の日と書きましたが、別火とは文字の如く、家と釜戸の火を別ける、特別なハレの日を意味し、三春の伝統文化の継承者として家庭や社会から離れて、正月から始まる別火講中の一連の年間行事、二泊三日に及ぶ七月の田村大元神社祭礼の中で、正に寝食を供にして、「田村大元神社」の行事を司っています。
時に楽しく、時に厳しく、実社会では体験出来ないような、様々な役割を通して思慮分別を養い、新町の男、さらには「真の三春人」となっていきます。
また、実社会においてこの発展に寄与する人として成長するようにと、先輩たちから、脈々と受け継がれてきた、胸を張って誇れる人材教育のための組織だと思います。
仲間がいることで「切磋琢磨」、互いに良い影響を与え、様々なことを学び合います。
人は一人では生きられない、支え合う人・喜びや悲しみを分かち合う人達がいてこそ、自分自身も成長してゆくんだろうと思います。
この祭礼、そして別火講中を通じて、花形である「長獅子」掛、そして裏方の「祭典」掛の役割の中で、言葉ではなく生きた実学として学んでいただければと心より思います。
上記の人数不足から退講した先輩が、お手伝いをしている姿を見ますと、人と人の結びつきの大事さ、そしてありがたさが見えてきます。
わたしたちの人生は芝居の舞台だと言われることがありますが、それぞれに、男の役割、女の役割、金持ち、貧乏・・・・と無限の役割の中の一つを果たしています。
いい役もあれば損な役もあります。
「縁の下の力持ち」という言葉がありますが、縁の下のような陽の当たらない、人目につかないところで、大切な役に立つことをしている人と解されています。
役割で言えば、損な役割の人かもしれませんが、自分に与えられた役を務めなくてはなりません。
本祭りの、御神体神輿渡御は、触れ太鼓を先頭に、青天狗・白天狗を前備えにした長獅子の先払い、五色旗・神社旗・錦旗、御神体神輿、神官に続き三匹獅子舞の奉納が続き、新町町内を巡幸します。
新町縦町の当店までくれば渡御は、もうすぐひと段落です。
そして、夕食後の還御・宮入です。
夕食後、旧化粧坂城下境を出立した還御の行列は、夕やみ迫る新町縦町を神社に帰還します。
長獅子がよりアラブリ力強く獅子舞を奉納して行きます。
これは、「獅子が、また一年神社で眠るのを嫌がって、御神体宮入の時間ぎりぎりまで、現世に居たいと哀願し、さらに決まりを解っていながら抵抗して荒々しく先払いをしながら進んで行くんだ」と古老から教わっていました。
この祭礼を司どる別火講中の現役の頃は判りませんせんでしたが、退講して15年も経ちますと、自分で力説していた”祭礼とは、斎行者がいて、準備する者がいて、見る者がいて初めて存在する”という意味を、己自身が噛み砕入れ呑込めるようになった気がします。
獅子の外でガードする役を”警護”と呼んでいますが、ガードレルを支えに踏ん張って獅子を止めています。
祭礼の夏の一日。
猛暑の中を還御に随行し、別火講中の仲間や、神社総代・宮司や神職、さらには三匹獅子や旗・楽人の楽器持ちの子供たちと艱難を共にするということで、夕方には連帯感を持ち始めるような気がします。
これが、一年続きこの新町と云う町内の固い絆を構築しているんだろうなぁと思います。
三匹獅子の舞う子供たちもなおさらです。
兄妹でもない。
親でもない。
ぱっと見には恐いお兄さんや、のん兵衛のおじさん、そして幼い子供たち・・・
世代も、住む環境もまったく違う異なる、様々な人々と仲良くなるという不思議な人間関係が、気が付いたら出来上がっています。
人の成長には、親の庇護を離れ”世間の荒波”と云えば大袈裟ですが、綺麗なものや汚いもの、時には危険なことなどに触れ、そこで感じたものを人生の糧として将来に役立てるということも必要な事ですよね。
これが今後の人生に、どれだけ役に立つか計り知れませんよね。
宵祭り、新町芸能祭が毎年行われています。
今年は三瓶正栄県会議員も飛び入りで参加です。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂
| ryuichi | 05:08 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩総鎮守 大元帥明王(現・田村大元神社)::明王様御祭礼 |
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