2018-05-30 Wed
堂山王子神社(旧堂山観音堂) 船引町大字門沢字堂山
坂上田村麻呂が創建したとされる神社で、茅葺型銅板葺の拝殿は、一重寄棟造で室町時代中期に建造されたと伝えられ国の重要文化財に指定されています。
拝殿は、かつて堂山寺の観音堂でしたが、明治初頭の廃仏毀釈・神仏離反に際して社殿を守るために王子権現のご神体が祀られるようになりました。
仙道三十三観音第七番札所となっています。
堂山王子神社とされていますが、ここを見ると正式には神仏分離をしておらず神仏習合が三内各所で見られます。
拝殿には観音堂の看板があり、仁王門には白馬も鎮座、梵鐘もあります。
また、至る所に庚申塔が多数建立されています。
奥院には「白山比神社」が建立されています。
傍らには明治9年建立の「山城神社」の石碑も見えます。
ここまで見ますと修験道の影響が深く感じます。
貴重な歴史的神仏習合資料の宝庫です。
堂山王子神社は、もと堂山観世音といい、延暦20年(801)坂上田村麿が征夷大将軍として、この地の巨賊「大多鬼丸」を討つため軍勢を進めたとき、門沢山の小茅のお堂に入り泊られました。
この時、六観音を安置して戦勝祈願をこめ大勝を得ました。
その後、東北を平定して都に帰られた将軍は、大同2年(807)飛騨の巧匠を遺して建造されたのが、この堂山観音堂と言われています。
将軍の戦勝祈願した時の観音中の准胝観世音を中御本尊と奉祭し、戦いの犠牲となった軍馬の霊を弔うために建てられたお堂ともいわれています。
以後、馬の神として広く信仰されました。
明治の廃仏殷釈のとき焼払われようとしましたが朽ちはてた王子神社の御神躰を、堂山観音堂に遷座したため、焼打の難は免れたといわれています。
(船引町教育委員会 文化課 資料より)
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