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塵壺323号「三春込木(くぐりき)寄席」~見渡神社・こしまき 平成30年6月発行




    「三春込木(くぐりき)寄席」~見渡神社・こしまき
 春先に「三春込木寄席」が行われました。 
出演は、(公社)落語芸術協会所属の真打、十代目春風亭伝枝さん。新進気鋭の人気落語家です。

 親戚筋の込木宮ノ下は“こしまき”こと武田泰夫さんの主催とあっては、落語好き饅頭屋の私も喜んで寄席見物と相成った次第です!

 伝枝師匠は、“こしまき”の娘婿である青木さんの友達だそうで、そのご縁で込木寄席開催の運びとなったということで3年前の高座に続いて2回目です。

ここで家号ともいうべき“こしまき”について少し・・・・。
 会場となった込木集会所の上手に込木鎮守の「見渡神社」があり、“親かっ様”こと庄屋武田家から分家した泰夫さんのお宅は、見渡神社の社殿を取り巻くように敷地があるということで、昔から“こしまき”という愛称で呼ばれています。






 この見渡神社は、古くから“トリケの神”と信仰を集めてきました。
“百日咳”にかかったときは灯篭の石を削って呑めば治ると伝えられおり、その拝殿には病気平癒を祈願した鶏の絵馬が多数奉納されています。
 また、麻ひもを首にまいておくと咳が収まるとも伝わっていて祈願成就の折には倍の量の“麻紐”をお礼に納めていたと伝わっています。





当三春昭進堂創業者の髙橋民四郎の本家は、込木の柳ケ作(やなさく)の髙橋家です。民四郎は本家から“髙橋”という苗字と現昭進堂の土地を貰って分家し商いを始めました。
 その昔、11月の祭礼には、民四郎と妻の“おタリ”が饅頭を大八車に乗せて、社殿下に露店を開いていたと聞き及んでいます。

この寄席では、本家さんと並んで落語に興じ、中入りや打ち上げの席などで様々なお話を伺うことが出来ました。
 なんと、本家の母屋は“戊辰の役・会津戦争”が起こった明治元年(1868年)ごろに完成したということですので、築150年になるという計算になります。当時の大工や職人は、現場に寝泊まりをして作業に従事していたそうですが、茅葺屋根工事を請け負っていた職人たちは皆会津地方から来ていたました。
 建設途中に“会津戦争”が勃発してしまい我が家が心配で帰郷し作業中断となります。そして、2年ほど時が経ち戦騒ぎの落ち着いたころに戻ってきて無事作業再開の運びとなったということでした。






 さて、落語です。
 
古典落語の定番「目薬」を枕に「短命」と「初天神」の二席。
 会場には、込木はもちろん楽内や柴原、そして芹ケ沢などから約80名のお客さんが詰めかけ「満員御礼」です。

 会場内を見渡しますと幼き頃より見知った方々ばかりで、「お久しぶりです~」「元気でしたか~」の挨拶が止まりません!そして、「観桜三春寄席」の主任“独快亭来歌”こと田部さんのお顔も見えます。





 噺が始まると、ここは新宿末広亭か?浅草演芸ホール?はたまた池袋の演芸場か~?
「女房が~!」「婿さんが~!」「息子が~!」ってなもんで・・
 一気に落語噺の世界に引き込まれ、もう笑いっぱなしです。
    
~ヨ、真打~伝枝師匠! 




 おっと、前座がいました。
青木さんと、友人の喜多さんが務め会場を温めてくれました。

 そして、お待ちかねの打ち上げです。
 伝枝師匠を囲んで、来場の方々と一緒に、橋長魚店のオードブルと地酒三春駒、そして泰夫さんの挨拶で宴会です。
敬老会での楽しい宴会の様相を呈し、老若男女楽しい打ち上げが続きました!





 私の中に先祖伝来の込木DNAが入っているせいでしょうか?場所も込木、そして落語会というのは、とても居心地が良くて、楽しい時間を過ごさせていただきました。




 
尽力いただいた武田家の皆々様、そして、お手伝いの村上様ご夫妻には大変お世話になりました。
   さすけねぇぞい三春!  合掌  蒼龍謹白  拝




<訂正とお詫び>
先の塵壺5月号コラムでお名前の間違いがございました。
正しくは川又恒一(かわまたつねかず)氏です。
訂正しお詫びを申し上げます。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍





古四王堂の改修も順調です。







| ryuichi | 05:13 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |