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「お伊勢参り 内宮・外宮」 三春昭進堂伊勢講中 ”弥次喜多珍道中!”




「お伊勢参り 内宮・外宮」 三春昭進堂 御伊勢講御一行 弥次喜多珍道中


江戸時代の中期以降の庶民は、伊勢参りを一生に一度の楽しみとしていました。

火付け役となったのは、十返舎一九の書いた「東海道中膝栗毛」だといわれています。

これは、落語に出てくる”江戸っ子”を絵にかいたような弥次さんと喜多さんが、厄落としのために江戸から伊勢神宮に向かう様子を、面白おかしく書いた書物です。

ま、この時代”伊勢参り”というのは、あくまでも表向きは伊勢神宮への参拝ですが、物見遊山的な観光の旅行だったようです。









私たち三春昭進堂”お伊勢講中”も弥次喜多珍道中にならい、お伊勢さま参拝の旅に出かけてみました。








ちょうど、出発前夜にシンガーyammy*の でデビュー10周年記念のTシャツ「Team Yammy* (ヤミー) T-shirts 10th Anniversary Edition」が届きましたのでそれを着込んでいざお伊勢様へ!






三春昭進堂伊勢講中


6月30日(土) 午前6時ごろ出発

東北道-圏央道-新東名-伊勢道を経て一気にお伊勢さまのある伊勢へ!





私は数年前に第62回神宮遷宮の寄進をした時に拝領した「3級賛助会員・特別参内章」がありました。


伊勢神宮会館にて、「垣内参拝」をするための伊勢神宮崇敬会登録。








赤福でちょっといっぷく~







おはらい町、おかげ横丁で一息ついてっと!








・二見浦の名勝夫婦岩で“サンセット”






伊勢ビールで~






夫婦岩









伊勢神宮外宮さん前の銭湯「常盤湯」で汗を流して、 伊勢山田駅近くで “直会”









 宿泊
・伊勢参拝の宿「紅葉軒」0596-28-2456 外宮近くへ



7月1日(日)






早朝5時、一人外宮参へ参拝です。


静かな外宮を堪能しながらの参詣と洒落込ンでみようと思いましたが、さすがに伊勢神宮外宮様です。

おひさまが顔を出した早朝です。

夜更けから朝方にかけて降った雨のおかげで靄(もや)に覆われた神域。

木漏れ日は幾重にも差し込み、キラキラと輝く光の帯が無数に差し込み前途を導いてくれています。

それはまるでもののけ姫に登場する神様の森の中を歩いているよう~

まさに、神様に導かれて参拝しているような感じです。







早朝から大勢の方々が参拝に訪れていました。


そして、その日は”大祓 おおはらい”の翌日で、神宮司庁等ですべての神宮の職員を祓い清めた直後の神域です。

その清められた神域だからなのでしょうか?


光の帯に招かれるようにお社を廻っていますと、一人独参する場面に出会います。


もちろん、清らかな参道を歩いていますと足元からビリビリと大地のパワーを感じられます!







外宮さんでは、6月の大祓は「夏越の祓」とも言われ、古くから12月の大祓と共に全国の神社でも行われています。

大宮司以下の神職・楽師を祓い清める儀式です。






朝食後、改めまして三春昭進堂お伊勢講中と一緒に、伊勢神宮外宮参内 

もちろん、スーツ・ネクタイ着用







食物・穀物を司る神である豊受大御神がお祀りされています。

衣食住をはじめあらゆる産業の守り神です。









御正殿以外にも風宮、土宮、多賀宮の3つの別宮にもお参りしましょう。

祭神の豊受大御神は約1,500年前、天照大御神の食事を司るために招かれた食と産業の神様です。

地元では「外宮さん」と呼ばれて親しまれています。






外宮では1,500年間、続けられてきた神事で、毎日朝と夕方、天照大御神をはじめとする神々に神饌(しんせん)(お食事)を奉る「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」です。






垣内参拝とは別に、商売繁盛祈願のために御祈祷を受けて参りました。



内宮さんも外宮さんも同じお伊勢の神宮さんなのでどちらで御祈祷を受けてもいいそうです。


私たちは、外宮さんにてお祓いを受けました。


祝詞の中で代表の方々お一人お一人のお名前が呼ばれ畏敬の念に駆られます。

やはり日本人でよかったなぁと思う瞬間です。



神楽奉納を堪能しての退席です。








内宮参詣

垣内参拝のためにスーツ・ネクタイです。







俗界と聖界との懸け橋といわれる宇治橋を渡り、五十鈴川で手を洗い清めます。



そして、御正殿、風日祈宮さま、荒祭宮さまへ!







内宮
日本人の総氏神である天照大御神がお祀りされています。


・倭姫宮
内宮と外宮を結ぶ御幸道路の中ほどの倉田山に鎮座し、倭姫命をお祀りしています。
「倭姫文化の森」、神宮徴古館・農業館、美術館、神宮文庫等。

・伊勢神宮 内宮別宮
ご祭神は月読尊。天照大御神の弟神で外宮別宮 月夜見宮のご祭神と同じです。







直会を兼ねておはらい町にて夕食


清々しい気持ちで一献!








伊勢神宮内宮参道 門前町“おはらい町”

宇治橋から五十鈴川に沿って続くおよそ800mの美しい石畳の通りには、お伊勢さん特有の切妻・入母屋・妻入り様式の町並みが軒を連ねます。
この通りには、伊勢名物赤福餅で有名な赤福さんの本店、榊原物産店さんはじめ、たくさんの土産物店や飲食店などの商家が建ち並び、参拝後の町歩きがたのしめます。






江戸時代には、伊勢参宮を「お蔭参り」と呼んでいました。

語源を辿りますと、江戸時代伊勢神宮に参拝する間、ことに20年に一度の遷宮のとき、人は身分制度に縛られないという考えがあり、奉公人が主人に無断で伊勢参りをしても咎められることはなかったとされています。

しかし、雇い主に無断で出るわけですから、満足な旅費などあるはずもありません。

それでも、伊勢へ通じる街道筋の裕福な人たちがお金や食物を提供してくれる「お蔭」で、困ることはなかったとされています。
“おかげでお伊勢さんに参詣することが出来た” そこから「お蔭詣り」という語源が出来たとされています。








榊原物産店は伊勢神宮内宮への宇治橋に近い場所にあります。

昔からのお土産屋さんです。

ご存知の方も多いと思います。

店内には伊勢のお土産類を取り揃えてあります。

しかも、伊勢と名の入ったお土産が安いんです。

以前、女将さんにその話を伺ったことがあります。

「伊勢参りには、来るだけでお金がかかります。これは今も昔も変わりません。私たちお伊勢さんの門前で参拝の方々に商いをさせてもらっています。ここで利益を多く載せて商売をしていては罰が当たります。お伊勢さんに支えられている商人は昔からみなそうして商売を続けてまいりました。」

今回もお土産を買ってきましたが、ちょうどおかみさんがいましたので、名刺を出しながら挨拶をしてこの話をさせてもらいましたが、三春の饅頭屋さんと覚えてくれていました。


この榊原物産の女将が話してくれた言葉の中に「お蔭様参り」を見たような気がします。



おかげさまでお伊勢さんに参ることができました。






いざ直会へ




伊勢神宮門前の「お蔭横丁」が賑わいを見せていますが、ここは赤福の社長が行政の力を借りずに、私財をと投じて拵えた観光商業施設です。




内宮さんの参道門前町である”おはらい町”は午後五時を過ぎる観光の客さんはすっかり引いて、参道門前町らしい静寂が訪れていました。







誰も居ないおはらい町など初めての経験です。







そして、弥次喜多さんを従えて一献!







五十鈴川の散策路で夕涼み・・・・








しかし、ここは伊勢神宮の内宮門前です。


ウキウキ・ワクワクが止まりません!






時計を見ると7時5分前、急に思い立ってダメもとで内宮さんへ。

橋を見るとまだゲート開いています。


守衛さんにおそるおそる伺うと、”どうぞどうぞ~”と笑顔で導いていただきました。


本日の最終参拝人となりました。







”一生に一度は御伊勢詣り”と云われる、伊勢神宮です。
心の芯から浄化されるような気がいたします。







お蔭様詣りと云われますが、こうして参拝できるのも、家族、お客様、そしてご縁のある皆々様のお蔭と、心より御礼を申し上げたくなるような神様です。



しかし、この光景は如何でしょうか?


中々望んでも出会える場面ではありませんよね。








かつて、司馬遼太郎氏は”お伊勢参り”を

「暑さも、蝉の声も、手を洗う五十鈴川に泳ぐ小魚も、そして飛ぶ鳥さえもご利益がるような心持にあり、本日この時に一緒に参拝されている参詣者の方々にもご縁を感じる」

と称されていましたが、まさにその思いをこの静寂が訪れ誰も居ない内宮さんで共有することができます。







この神域の滞在中、神威とも云うべき「風」が音を立てて体内を通り抜けていく感覚があります。

そして、凛と張りつめた気が浸透していくかのような感じが肌に伝わってきます。


一歩一歩歩みを進めるたびに地面からビリビリといった具合に足元からパワーが伝わってまいります。







本宮御正殿参拝の折にはなおさらです。


自然と涙が止めどもなくあふれてまいりました。



これがお伊勢さんの神威なんでしょう。


ありがとうございます。






三春から伊勢まで約700キロ、遠い道のりではありますが、来て良かった!






宿へ
神宮会館 TEL.0596-22-0001






7月2日(月)



午前5時、早朝内宮さんに御礼の為に三度参詣。

宿である神宮会館での早朝内宮参拝ツアーとは別に独参です。





小雨のなか、風情を感じる瞬間です。


そして、今朝もこの瞬間だけ誰も居ない独参することができました。


偶然、お会いした神職の方のお話を伺うと、長男さんのお嫁さんが福島の方ということでご縁を感じます。


商売繁盛祈願”お清めの砂”のことを伺うと、それは伊勢神宮ではなく近くにある猿田彦神社にあります。と教えていただきました。







”みちひらき”の大神 清めの塩









・朝食後、三春へ帰還





途中、近くにある秋田実季公墓所 伊勢朝熊永松寺へ墓参。



秋田城之介・安倍姓安東・秋田実季公墓所
永松寺、伊勢神宮より少し外れた伊勢朝熊山の麓にある臨済宗南禅寺派の禅寺。

山門脇の階段を上った小高い丘に実季公の墓所はあります。

戒名、高乾院殿隆巌梁空大居士 秋田城之介 






江戸時代初期の寛永7年、徳川幕府の命令で宍戸城主安東秋田実季(あきたさねすえ)はわずかな近習を引きれ、伊勢の朝熊へ蟄居を命じられます。


長男で、初代三春藩主秋田俊季との不和に加え、従来からの檜山系と湊系による家臣間の対立が背後にあったのではないかとも考えられています。








実季には、正室円光院と側室との間に、6人の男子と3人の女子をもうけていますが、朝熊幽閉には、側室が片山氏とその娘千世姫が同行しています。

片山というのは姓であり、出身や俗名は明らかにはなっていませんが、後年落飾した後は法名を「穹静院」と号しています。
お千世方は、実季公の第二子であると思われます。






千世姫は、実季が齢50歳を過ぎた頃に出来た娘であり、片山氏は実季に最も尽くし、そして、最も愛された側室であった事だろうと想像がつきます。

 しかし、そんな平穏な暮らしの中、寛永14年(1637)3月、愛娘の千世姫が、小児喘息やリウマチを患っていたとされ懸命な看護も虚しく、わずか11歳で病没します。
片山は、不遇の中、異郷の地で娘を亡くしたことを憐れんで、落飾し“穹静院”と号して、夫である実季と共に、亡き愛娘の菩提を弔いながら余生を送ります。

そして、片山氏本人も、承応元年(1652)12月、夫である実季に見守られながらその生涯に幕を降ろします。






秋田教方萬金丹
伊勢神宮参拝のお土産として名高い「秋田教方萬金丹」







萬金丹は、江戸時代、旅の道中に常備する万能薬とされていましたが、主に胃腸の不調を改善するもので、その効能は、食欲不振、消化不良、胃弱、飲みすぎ、食べすぎ、胸やけ、胃もたれ、はきけ(胃のむかつき、二日酔い、悪酔、悪心)などとなっており、又、配合されている生薬には、下痢、腹痛にも効果があり、その用途は幅広いものでした。
この処方の起こりは奥州三春城主の祖、生駒安倍・安東ノ姓秋田城之介・秋田実季によると伝えられている。


伊勢朝熊永松寺 0596-22-0509









そして、岐阜県各務原にある「かがみはら航空博物館」にて川崎重工製旧帝国陸軍三式戦闘機「飛燕」を見学!





この三式戦闘機「飛燕」二型試作機(機体番号6117号機)は完動状態で終戦時にアメリカ軍に接収されて、その後しばらく横田基地で敷地内展示されていたため当時の比較的保管状態は良好でした。
後に九州の「知覧特攻平和会館」に展示てあったものを川崎重工業のご協力を得て修復し、ここ各務原へ来たというものです。






川崎重工社製 旧日本帝国陸軍三式戦闘機「飛燕」を使用した日本最強の陸軍航空隊といえば、震天制空隊第244戦隊が挙げられます。
当時、日本の航空機で高空性能に優れていたのはもともと馬力のある四式戦と、機体が空力学的に洗練されていた三式戦でした。






首都防空を奉じた震天制空隊第244戦隊など航空隊では、編成は各飛行戦隊内の4機1組で1隊とし、使用する機体の大半は使い古しの三式戦闘機で、軽量化のため武装・装甲・無線装置を撤去し高高度の上空で、機体性能を少しでも向上させた「無抵抗機」と呼ばれる機体が用いて体当たり攻撃を仕掛けていました。





また、これらの機体には首都防空制空隊を表す各種のマーキングや特別塗装が施されていた場合が多く、通常の機体と比較してジュラルミンの胴体に剥がれかけた迷彩塗装と相まってかなり派手なものが多かった。





ただ、体当たりと言っても自殺的な意味合いではなく、B-29の機体の上部に胴体着陸のような形で突撃し機体をぶつけて撃墜を狙ったものでした。
この時パイロットは脱出してパラシュートで降下するというもので、実際にこの体当たり攻撃を敢行して生還した例もあります(同戦隊所属の板垣政雄軍曹など)。







飛行第244戦隊はこの体当たり攻撃を含めて84機のB-29を撃墜したようです。





3式戦闘機は、日本陸軍の名機と謳われた。全長8.94メートル、最大時速約590㎞、20.0ミリ機関砲2門、12.7ミリ機関銃2挺を装備していました。

当時日本唯一の液冷式エンジンの新鋭機。








しかし日本戦闘機初の液冷エンジンが不調だった為、稼働率が低く高性能乍らも悲運の戦闘機としても知らる。







岐阜かかみがはら航空宇宙博物館
〒504-0924 各務原市下切町5丁目1番地 電話番号:058-386-8500






・伊勢参りの帰りは信州長野の善光寺Tel:026-234-3591へ


伊勢神宮に参拝しただけでとんぼ返りをしてしまったのでは、もったいないと考える人も少なくなかったようです。
そのため、伊勢神宮に向かうときには東海道を歩いていきますが、帰りは中山道を通って、信州にある善光寺に寄ってから江戸に戻るのが一般的だったようです。






江戸時代には「牛にひかれて善光寺参り」などと言われましたが、実は伊勢参りと善光寺参りを同時に行われることが多かったようです。







江戸時代には観光目的の旅行は許可されなくても、こうした寺社参拝が目的という大義名分があれば、複数の神社やお寺を回って旅をすることができたわけです。







そして、折角ですので近くにある上杉謙信率いる越後上杉勢と、武田信玄が率いる甲州甲斐の武田勢が、生涯戦い抜いた川中島の合戦の最大の見せ場「謙信公、信玄公一騎打ちの場・八幡が原古戦場跡です。







妻女山に陣する上杉勢が武田勢の別動隊を察知して信玄本陣に突撃!








伊勢神宮参拝と飛燕、そして信州善光寺参詣という旅行もアッというあの2泊3日でした。


この二泊三日は、本当に楽しく充実した時間でした。



長渕剛主演の映画「オルゴール」の台詞の中に
「俺が(我)、俺が(我)の“我”を捨てて、お陰、おかげの“げ”で生きろ」と自問する場面がありました。

 “御蔭様(おかげさま)”とは、「相手を敬う心、相手に穏やかに接する心、そして、人から受けた助けや親切に対して感謝の気持ちを込めていう言葉」のと解しています。

人が生きていくということは、他人とのかかわりあいがなければ生きていくことはできません。

自分自身には気づかないところで(陰で)、多くの方々に支えられていることが「お陰様」という漢字から読み取れます。

今、こうして生きていることは、大自然の恩恵であったり、何不自由なく暮らしているのは、皆さまの支えがあるからであったり、健康に仕事ができるのは、毎日ご飯を作ってくれる女房のおかげであったりします。








何事も誰に対しても「お蔭様」という「感謝の心」で生きることが大切なんだということをお伊勢参りで改めて学びました。


そして、心身及び財布ともに健やかに“お伊勢さま”に参拝することができたのも、女房殿はじめの家族、従業員、そしてお客様等々の関係各位のおかげ様です。

心より厚く御礼申し上げます。







さてさて、これで三春へ帰還です(^_-)。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 09:13 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録 |