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上大越城(鳴神城)城主大越紀伊守顕光信貫
上大越城(鳴神城)城主大越紀伊守顕光信貫

 所領一万石(安積六百石、二千大越、三百五十石牧野) 紀伊守没後息の田村宮内領す) 本丸、北ノ丸、西ノ丸、東ノ丸、西北丸

下大越舘  大越紀伊守 大越郷は、元下沢郷と称していたが大越紀伊守の声が大きいため田村公より大声(大越)の名字を拝命、是より下沢を大越と改めたという。

紀伊守は、此城より上大越城に移り、田村清顕死後相馬公に与し、相馬家中大越氏はその子孫と伝わる。

上大越城は、鳴神城と呼ばれた山城です。

永禄九年(1566)田村氏の重臣であった大越紀伊守顕光信貫によって築かれたと伝えられる。

大越顕光は三春城主田村清顕の重臣で四天王の一人と称され、約一万石の所領を持っていたという。

天正十四年(1586)、当主田村清顕が急な病で没すると、嫡男がいないままの田村家中は伊達方、相馬方に分裂します。

相馬方についた顕光に対し、天正十六年(1588)伊達家の重臣伊達成実が大越城を攻撃しますが、城内の防備は固く町構えに放火しただけで撤退しました。

その後、大越顕光は岩城常隆に従っていたが、天正17年(1589年)伊達政宗と岩城常隆が開戦するにあたり、顕光が伊達氏に帰順しようとした動きが露呈し、岩城氏に捕らえられ切腹した。

顕光のあとは義弟のである大越甲斐守が継いだが、伊達領となった後は田村宮内顕康が城主となった。

城もその後間もなく廃城になったといいます。

城内「駒石」の上には、城主大越紀伊守の愛馬「朝霧」の蹄(ひづめ)の跡があると説明板にあります。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 05:27 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘2 |