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塵壺325号平成30年8月 奥州三春「古四王堂」震災復興再建“平成の大改修”真照寺山内




奥州三春「古四王堂」震災復興再建“平成の大改修”真照寺山内

三春城下新町にある旧三春藩五万石安東・秋田氏祈願所「東門院日乗山真照寺」の山内に鎮座する「三春古四王堂」の“平成の大改修”工事が始まりました。





三春古四王堂は、正保2年(1645年)秋田俊季の奥州三春移封の際には旧領の常陸宍戸(茨木県笠間市友部)に残されますが、慶安3年(1650年)、三春二代藩主盛季によって祈願所真照寺と共に古四王を祀る御堂も三春に遷されます。真照寺は三春古四王堂の“別当(管理長官)”です。






三春移設当初は三春城下清水”天狗谷”にあった愛宕権現堂の地に移設して御借屋を建立したと記録されています。

現在の古四王堂は、正徳2年(1712年)に三代藩主秋田輝季によって再建されたもので、その御堂は、北面に建てられており建設当初は宝形造であったと思われ安東焼の流れを伝える丈六焼の宝珠が残されています。






また、正徳の再建では入母屋造となり縁が三方に廻されます。
その後、長い月日の中で数度の補修が加えられ、昭和30年代になって茅葺を現在のトタン葺きに改修されています。









この古四王堂も300余年という年月の中で風雨雪、そして先の東日本大地震にも耐え抜きましたが、老朽化と震災の影響により満身創痍、建っているのがやっとという状態で何年も耐えてきました。

今回、檀信徒の皆々様の復興への願いが叶い改修の運びとなりました。







古四王は、平安時代以降神仏習合の中で帝釈天とその守護四天王を祀り、特に北方を守護する毘沙門天を本地仏としていました。
また、招福息災の薬師如来として眼の仏様としても信仰されて北日本は新潟の下越から青森津軽にかけての日本海沿岸に多く見られます。

「日ノ本将軍」「蝦夷探題・管領」として津軽十三湊を拠点に北日本海沿岸から東南アジア一円に広大な航路経済圏を形成し繁栄していた三春秋田氏の祖である安東氏が「古四王」を篤く信仰したためと考えられています。





毎年、真照寺では旧暦の初寅には古四王堂のご本尊の一つである「毘沙門天(多聞天)」の初寅祭典が本堂で開催されています。
“寅の日”は「毘沙門天」の縁日です。商売繁盛・家内安全・長寿・勝運など様々な御利益、無量の“福徳”を授かることができるとされており、初寅講中の各地区世話人の方々を中心に多くの檀信徒の皆様が参詣されています。







尚、真照寺本堂内にある帝釈天とその守護四天王である「持国天」、「増長天」、「広目天」そして「毘沙門天(多聞天)」の木造立像は、秋田家の祖である「安倍貞任」の縁起を伝えていると云われており二代藩主秋田盛季が奉納したもので、本来は古四王堂内に安置されていました。







「誰が作詞か、作曲かが判らなくても、みんなが知っている歌。歌い続けられている歌。 
そんな歌を歌う歌手になりたい・・・」20年来、真照寺阿吽講でライブを行っている現代の吟遊詩人小川ロンさんから伺った言葉です。







300年前にこの古四王堂を建立した方々はこの世には居ません。300年後も私たちを知る人はいないでしょう。
しかし、改修後、時は流れても古四王堂の建物はここに存在し、法要などが営まれていることにロマンを感じます。





“仏教の修行とは一切の妄想、執着を断ち切って、人知れず捨て去られる一足の破れ草鞋のようにその存在すら知られずに修行することが僧の理想。それが真の「仏」の境涯になるということである”と仏教では説いています。





何もひけらかすことなく、自分の生き方を最後まで全うするための知恵の大切さを教示していると解していますが、ご縁がありこの古四王堂に係わるすべての人々の姿そのものなのだと改めて思います。

完成は来年平成31年3月予定です。





蒼龍謹白   さすけねぇぞい三春!  拝






| ryuichi | 04:15 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |