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石見浜田 紅蓮山観音寺参禅記 2018.夏




浜田では3時起床にて曹洞宗紅蓮山観音寺に於いて師と仰ぐ方丈様である花吉道久老師の下で朝だけですが、座禅と勤行に参禅させていただいています。

朝3時、引き締まった空気の中、冷たい水で顔を洗って、徒歩一分という目の前にある観音禅寺へ満月に照らされた参道・山門を通り本堂へ出頭いたします。


北国三春の夏の夜とは違い、日本海特有の高温多湿の夏の真夜中・・・


冷房の効いた寝室から一歩外へ出るとジわっと汗ばんでまいります。







方丈様の下への参禅も気付いたら長男が生まれてからですのでかれこれ20年になります。


坐っているだけでも汗がしたたり落ちる本堂の片隅。


時折、火灯窓(かとうまど)より、吹き込むそよ風に”ちいさな幸せ”を感じます。

大袈裟な言い方かもしれませんが、普段なら気づかないような”小さな幸せ”に”ありがたさ”を感じ、”生きている”・”生かされている”ということが実感できます。


そして、老子の下で参禅させてもらっている家族へ感謝しながら、1年分の溜まりに溜まった”心の塵芥”の洗濯です。








お寺では、方丈様の弟子である善福寺持住の中村敬信様、定岡蔵心様に御指導いただき、観音寺方丈様の下で、座禅、そして朝課勤行に勤しんでいます。


文字通り「門前の小僧(50過ぎのおっさんですが)」、約3時間半のプチ参禅です。






何物にも代えることの出来ない、満ち足りた一番有意義な“しあわせ”な時間です。

そして、ゆっくり自分の身体や心と向き合う大切な時間です。

約一時間半ですが暁天坐禅を心ゆくまで堪能しています。






参禅させていただいた期間が7月30日~8月2日まで。

この時期、観音寺様では90日間の集中修行である「夏安吾(げあんご)」の最終段階でした。


夏安吾の観音寺様では、「楞厳会(りょうごんえ)」という偈分「大仏頂万行首楞厳陀羅尼(だいぶっちょうまんぎょうしゅりょうごんだらに)」をお唱えしながら本堂を歩きながらお経を唱える「行道」をして修行期間中の無事を祈念しています。






そして、安吾も終終了の翌日は8月1日。

禅寺では元旦や、月の1日、15日を「祝聖」と呼んでお祝いの日としています。

僧堂でも祝聖の日は親指の分かれていない白足袋を履いて、朝課に出頭します。

そして、朝課を始めますが、日課のお勤めの前に、天皇陛下の聖寿をお祝いして興禅護国を祈願します。

そして、すべての仏様にお茶をあげます。






私など、門前の小僧で周りをきょろきょろとみているだけですが、とにかくお坊さんの朝は忙しく走り回り、無駄な時間がありません。

また、参道に鎮座する龍王尊守護 祈祷道場山形鶴岡にある龍澤山善寳寺からの分霊した「龍神」様、秋葉大権現様、そして、天満自在天さまをお祀りする鎮守堂。

地蔵堂のお地蔵様と無縁になった仏像。

歴代住職之墓、幕末の旧浜田藩松平〔越智〕家臣の墓、そして、日露戦争日本海海戦時の撃沈された軍用船「常陸丸」の乗員を弔う無縁地蔵等々を回向してまわります。







今回の方丈さまとの接見法話では大事な事柄をご教授いただきました。


・人に伝える学ぶ その方法もいく通りもある。

・一本調子ではなく柔軟な考え方が必要である。

・これは普段の生活においても同じです。

・俺が俺がではなく その有り様を考える事が大事である。







・絵師池野大雅

・片手仕事をしてはいけない

・一事一佛一成就 = 一つ一つの所作が修行である。

・娑婆訶「そわか」とは、もともと仏教のお経で最後に唱えられ「成就する」という意味。







・正宗の刀

・自由無碍 物事に執着しない

・名声成功習得など・・・・

・山登り詰めれば下りるだけ  = 天の上に天がある


・赤目老子

・弟子の旅立ちに対して、道中気をつけてとは、次の師家寺院までの旅だけではなく、その弟子の仏道成就・までの道程・人生



老師は"典座"を通して、真の弁道(修行)とは、坐禅や祖録公案だけではなく、 むしろ日常生活そのものが修行であると説いておられます。



この参禅、講義の中で、老師は
「禅修行”とは、この四日間の参禅だけが仏道修行ではなく、日々の暮らしの中にある事柄のすべてが禅の修行である。
日常生活の一つ一つの営みの中に、禅の教えを活かし、日々そのことを念頭に生きなさい。
そして、自分と身の回りの人に、安らぎと落ち着きを与え、明るく、正しく、仲良く、 日々の生活を送れることが大事である」


人生そのものが仏道成就のための“心の旅”であると老師はご教授されたと解しました。

心の旅、この世のすべては修行であり、何ひとつ無駄なことはありません。
つまり、どんな人生であってもこの世に“生きている”のは、修行のために“生かされている”ということなんだろうと思います。


日々精進ということですね。


ありがとうございます。







曹洞宗の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」、ただひたすらに坐るということです。

それはお釈迦さまが坐禅の修行に精進されたことによって“悟り”を開かれたことに由来するとされています。


そして坐ることによって身体を安定させ、心を集中させることで身・息・心の調和をはかります。







何か他に目的があってそれを達成する手段として坐禅をするのではありません。
坐禅をする姿そのものが「仏の姿」であり、悟りの姿と説かれています。

私たちは普段の生活の中で自分勝手な欲望や、物事の表面に振りまわされてしまいがちですが、坐禅においては様々な思惑や欲にとらわれないことが肝心です。







道元禅師は、坐禅だけではなくすべての日常行為に坐禅と同じ価値を見いだし、禅の修行として行うことを説かれています。

修行というと非日常的な何か特別苦行をすることのようにとらえがちですが、実は、毎日の生活の中の行い一つひとつがすべて前修行であり、何事も坐禅と同じ心で勤め、それを日々実践し続けることが大事で、それが修行であるということを教えていただきました。


また一つ心が洗われました。







幕末 石州口(石見口)の戦い
幕府は、慶応2年(1866)、第二次長州征伐の軍を起こし、四境(石州口・芸州口・大島
口・小倉口)より戦端が開かれました。
そのうち石州口の戦場となったのが浜田藩領益田で、のちの戊辰戦争で一番初めに長州藩と戦い敗れたのが浜田藩松平氏ということになります。


 当時は浜田藩松平〔越智〕家の第四代当主松平武聡は、父を水戸徳川斉昭(なりあき)とし、徳川将軍後見人一橋慶喜の異母兄弟です。

無益な戦いと知りながらも、そう簡単に城を明け渡すわけにも行かず、病気療養を理由に指揮権をほかの藩にと幕府に要請します。

そこで幕府が指名したのが、因州鳥取藩12代藩主池田池田慶德(よしのり)です。

慶徳は、武聡と同じく水戸徳川斉昭の息子で、二人は兄弟です。

ところがこの慶徳も、病気を理由に大将を辞退し、鳥取藩兵も撤退させてしまいます。

その後、応援に来ていた松江藩も、慌てて兵を撤退させます。
さらに翌最後まで残っていた浜田藩の兵たちが、本拠・浜田城に火を放って松江へと逃亡し、事実上、浜田は陥落しました。



後の日本帝国陸軍の創設者である長州藩大村益次郎は、石州口(島根県浜田市)方面の指揮官となります。


益田扇原関門関守浜田藩士 岸静江国治は僅かな部下と急募の農民と共に関門の守りについていました。

慶応二年(1866)6月16日朝 大村益次郎(旧名 村田蔵六)率いる長州軍約一千五百名が横田方面からこの地にさしかかったが、扇原関門の守 岸静江国治(浜田藩)は通過を許さず、ついに戦闘が開始されたます。

しかし、圧倒的な兵力を誇る長州軍のため、国治はまず部下と農民を退去せしめ、唯一人関門を死守するうち不幸敵弾を受け、圧倒的多数の敵兵をまえに岸静江は仁王立ちのまま絶命したと言われ三十一歳を一期として壮烈な戦死をとげました。

昭和八年 岸静江国治は靖国神社に合祀せられた。

尚、この岸静江国治の墓も観音寺墓地にあります。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍




| ryuichi | 04:02 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |