2018-09-25 Tue
三春昭進堂の向かい側の道を入ったところが弓町です、この一番奥が「新地」とも「新庚申坂」とも呼ばれた、遊里遊郭跡があります。
“三春庚申坂七色狐、わしの二、三度騙された”
この三春甚句にも歌わるほど、旧藩時代より、三春城下新町末の庚申坂の色街は有名でした。
大正・昭和となり、場所が庚申坂から新地(弓町)に移転してから最盛期を迎え5軒の妓楼に約30名を超える遊女が在籍し、昼夜もない繁盛ぶりだったと伝わっています。
そして、その華やかさの陰には、花街につきもの事柄がたくさんあったことでしょう。
庚申坂秘話
悲恋の恋の花が咲き、心中あり、駆け落ちあり、円満身請けあり、倒産あり・・・数々の秘め事話を残しています。
その遊郭、先の花屋楼に続き二葉楼の取り壊しが始まりました。
老朽化のために傷みがひどく、取り壊しとなったんでしょう。
以前、知人が借家として借りていたこともあり、二葉楼には度々お邪魔をしていました。
この二葉楼も、赤線廃止後から下宿「二葉荘」として営業していた時期もありました。
平成の初頭まではアパートとして知人が家族で借りていましたが、その頃になると奥座敷や奥の間がある二階建ての建物は廃墟と化しており、知人の借りていた玄関横にある一間以外は人の入れる場所ではありませんでした。
しかし、時には肝試し感覚で妓楼の建物内部を探検させていただきました。
この二葉楼は、建て増し建て増しによる建築と見えて、手前の二階建ての構造物一階には帳場や宴会場的な部屋があり、2階は個室が並びます。
また、中にはを挟んで第二の妓楼が渡り廊下上下二段によって連絡されています。
またその奥には、奥座敷がありここも二階建てで上下二段の連絡橋で結ばれています。
二階へ通る階段が2か所ずつあり、計6っか所設けられており、すべての階段が一方通行になっていました。
これは客同士が会わない仕掛けなんだと聞いたことがあります。
トイレに行くにも入り組んでいて複雑な構造の大きな建物です。
二階には小さな部屋がいくつもあり、いろいろと想像を膨らませていました。
郡山駅前アーケードの一角にあった旧妓楼跡が自宅という郡山商業の同級生がいまして、遊びに行った時の建物の構造と同じだったことを覚えています。
取り壊し前の風景
今は、妓楼も朽ち果て、その面影をしのぶだけです。
三春の歴史が、また一つ消えていきます。
撮影は平成30年9月17日です。
現在は更地になっています。
尚、ここはすべて私有地です。
常識ある行動にて、無断での侵入はご遠慮ください。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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