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塵壺327号  「峠 最後のサムライ」 越後長岡藩河井継之助 平成30年10月発行
 


「峠 最後のサムライ」 越後長岡藩河井継之助

 幕末の風雲児と呼ばれた越後長岡藩(現新潟県長岡市)軍事総督・非門別家老河井継之助を題材にした司馬遼太郎氏の名作小説「峠」が「峠・最後のサムライ」のタイトルで映画化することが発表されました。

監督は小泉堯史氏、2020年に全国公開。





河井継之助役には役所広司、妻・おすが役には松たか子、その他田中泯、香川京子、佐々木蔵之介、仲代達矢ら豪華キャストが出演します。
私と継之助との出会いは昭和52年放送のNHK大河ドラマ「花神」でした。






幕末の戊辰戦争で最大の激戦を繰り広げた北越戦争。田舎の小さな大名長岡藩牧野家、しかも一代限りの家老継之助が「永世中立」を唱え“会津と薩長の仲立ちをして平和解決を目指す”という壮大な計画を企みます。

小千谷談判が決裂し平和解決が無理となるや当時世界レベルの軍事力にまで仕上げた長岡藩を率いて、徹底的に戦う姿に“カッコイイ大人”と思ったのが始まりです。






「峠 最後のサムライ」物語の舞台は、江戸幕府最後の将軍徳川慶喜による大政奉還も奏上され、260年余りに及んだ江戸時代が終焉を迎えた幕末。
越後の譜代大名長岡藩牧野家は、継之助の指揮のもと藩行財政改革を断行して借財の返済、そして藩費貯蓄の増加を計ります。

また、当時世界で3門しかなかった最新鋭の「ガットリング砲(機関砲)」そして、元込式標準器付きの螺旋銃 「エンフィールド銃」等、世界でも類を見ない武器と調練によって最強の精鋭部隊を組織していました。








その武力を背景に内戦の無意味さを訴え永久武装中立を主張、そして戦争回避のために薩長土肥を中心とする西軍と会津藩を中心とする東軍の停戦調停の仲立ちを企てます。

しかし、東西両軍からの各種妨害工作によって結果的には東軍に加盟し西軍と対抗する道を選んだ継之助の生涯を通じて“「サムライ」=日本人の生き方”“リーダーとしてのあるべき姿”を問いかけるという作品です。






 この幕末明治初頭の混乱期、内戦の無益さと欧米列強の内政干渉による危機感、そして、国益損失を政治的に考えられたのは勝海舟と継之助だけだといわれています。

継之助は、独自の近代的な発想とその先見性をもって戊辰・明治の混乱が終わるまでは長岡藩七万四千石を、欧州におけるスイス国のように一つの中立国家として独立することを目指していました。






 奥会津の只見町には立派な河井継之助記念館があります。

 北越戦争で薩長等の西軍との戦いで奪われた長岡城を再度奪い返すなど約三カ月に亘り激戦を繰り返す中、継之助が足に銃弾を受け重傷を負ってしまいます。軍事総督が倒れた長岡藩は、抵抗むなしく敗走となり長岡から”八十里峠”を越えて会津若松城下を目指す途中、この只見・塩沢の医師矢沢宗益宅で亡くなりました。

塩沢についた継之助は、追撃する西軍が迫る中、自身の死を悟り、下僕の松蔵に棺桶と薪を用意させ「自分の亡骸を西軍に渡して成らぬ・・・」と云い残し、燃え上がる薪を見つめながら息を引き取ったと小説「峠」では締めくくられています。


30年位前に私が初めて訪れた時には、まだ矢沢医師の子孫である強面のおじいさんが、只見ダム建設に伴う川増幅移転の際に「河井継之助終焉の間」を自宅横に移築して細々と個人記念館として開館していました。







遺品や説明のパネルが並ぶその「終焉の間」は、小説「峠」に在る河井の終焉の場面で、“矢沢宅の隠居で、天上を眺めていた・・・涙が一筋~”という下りを真似して、ちょっと横になったらそのまま寝てしまい、矢沢さんに夕食をごちそうになった事が思い出されます。






店のチラシ「塵壺」も「菓匠蒼龍」もさらにペンネーム蒼龍も、この河井継之助の遊学旅日誌や雅号からというのは言うまでもありません。







   蒼龍謹白  拝  さすけねぇぞい三春!  




本号の中で、十三夜月見団子の表記が間違っていました。

正しくは、十三夜月見団子 13ケ入れ 650円(税別)です。





| ryuichi | 04:43 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |