2018-12-31 Mon
塵壺330号 平成31年1月発行
三春版『ファミリーヒストリー』調査の顛末記
当三春昭進堂のホームページ内「春陽郷三春思ひ附阿津免草」には、三春の各種イベントや歳時、歴史を記載しています。
そのことからでしょうか?時折先祖探しをしているという方から問い合わせがあります。
先頃も、当店のホームページに一通のメールが舞い込んできました。
発信者は、東京の成城に住むNさんという女性からで、「曾祖母の出身が三春町新町ということが判り、何でも良いですので教えてほしい」という内容でした。
後日、彼女から封書が届き、同封されていた除籍謄本や系図などを調べていると、その本籍が私の先輩のお父さんの生家と1番違いで、また『佐藤』という同姓であることにも気づき、今回の件を彼に相談してみました。
その先輩とは、役場OBで歴史の話し相手である田中金弥さんです。
仕事が重なっていたみたいでしたが、金弥さんは「NHKのファミリーヒストリーみたいで、面白そうだね。調べてみる~」
また、「Nさんの三春へのアプローチの窓口が三春昭進堂のホームページならば本気で調べなんねぇなぁ!ここでしっかりと対応すればNさんが見る三春全体のイメージアップにつながる!」と快諾してくれたので、その旨をNさんに連絡をしました。
すると、すぐに彼女からの封書が私の手元に届き、その中には「田中さんに渡してほしい」という手紙も入っていたので届けました。
依頼してから二週間も過ぎぬうち、「内容をチェックしてください。OKだったら、Nさんに郵送するから」と金弥さんが拙宅に来てくれて、調査結果が書かれたA-4版4枚とバックデータのコピーを置いて帰られました。
その文章は、史実、推測、 提案、参考という4分類で記載されており、私が言うのも“烏滸(おこ)がましい”ことですが、Nさんの期待以上の素晴らしいものだと思いました。
松下氏時代の足軽町から新南町そして新町になったという町の成り立ちから始まり、江戸から明治時代にかけての秋田家臣の分限帳の内容、昭和30年代の旧町全体や新町の状況と情景、そして聞き取り調査などが詳細に書かれてありました。
さすが元三春町史編纂室主事!
数日後、Nさんから私にまで丁寧な御礼が届きました。
中には、「三春昭進堂のサイトに出会えたことが縁です。それ以上に調べていただけて、たいへんありがたく思います。ご縁を感謝いたします。」と記されていました。
この三春版『ファミリーヒストリー』調査の顛末記を書くにあたり、金弥さんが三春町史編纂の折に、当家大叔父にあたる故高橋哲夫から「真剣に取り組んでいると、資料の方から呼びかけてくる」『歴史は、点が線になり、そして面へと広がっていく』と教示されたということが響いてきました。
自由民権運動の研究家であった大叔父は例えて「河野という点があり、板垣という点があり、それを結ぶと線になり、その他多くの民権家たちと線が結ばれて、自由民権運動という面へ」と云っていたそうです。
今回の、予期せぬメールがNさんという点から、私という点に、そして金弥さんという点に繋がって線になり『三春版·ヒューマンヒストリー』という面になったとうなずきました。これも様々なご縁がつながって織り成した面の結晶なのだと思っています。
大叔父哲夫が口にする”歴史の面白さ”とはこうしたご縁の面白さだと解釈しました。
『他人様に何らかの施しをすれば自分にではなく子や孫の代にそのお返しが来るんだよ』金弥さんが時折口にされるお祖母様から教えられた言葉だそうです。
自分の為だけではなく、子孫の為に働くのも悪くありませんね!
蒼龍謹白 さすけねぇぞい三春! 拝
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
大晦日
毎年、大晦日仕事が終わって店じまいをしている最中から涙があふれ仕方がなくなります。
もちろん感謝の気持ちで胸がいっぱいになり、それまで抑えていた感情が涙となって満杯になりあふれだしてくるんだろ思います。
今年を振り返りますと本当に様々な方々にお世話になり格子ともども健やかに一年を無事過ごすことができました。
私には、良き先輩、友人、知人があり、お客様があり、会社、家族がある…
ご先祖様から続く、ご縁のある様々な方々との係わり合いの中で、嬉しいこと、苦しいこと、悲しいこと全てがあって今の自分があるんだろうと思います。
これは人間にとって本当に幸せなことなんだと思います。
これも一重に、皆々様のお引き立ての御蔭と心より感謝申し上げます。
合掌 蒼龍謹白 拝
| ryuichi | 05:41 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |
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