CALENDAR
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31       
<<  2024 - 03  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




「町の人から教わろう」 三春小学校3年生   三春昭進堂主人 髙橋龍一  於平成31年2月12日三春小学校



三春小学校より、三春小学校3年生の総合的な学習の時間での授業「町の人から教わろう」に、 講師の意頼があり、お話しをしてまいりました。



かつて、私たちが子供の頃、三春の先輩方から様々なことを教えていただき学んできました。

この恩返しになればいいなぁと考えながら、三春の和菓子、そして身近な歴史や伝説などを話をさせていただきました。

そして、自分に自信を持ってもらうには、自分を自分自身が大好きになってもらいたい。

“自分の家族”、そして自分が住む地域もです。

その為には、自分の足元である生まれ故郷三春を好きになってもらう必要があります。

これは生涯教育、そして今話題の100年生涯の分野にも言えますが、まず子供のころからの自己肯定型の学習が必要なんだろうと思います。








未来を担う、三春の後輩たちの”学び”に、少しでもお役に立てればいいなあと思います。

今後も三春城下で商人として様々な学習活動へ支援していきたいと考えています。


下記はそのレジメです。


資料として、当店発行の「塵壺」と平成版三春城下絵図「三春物見遊山」を児童数分持参し配布しました。








「町の達人に学ぶ」 三春小学校3年生   三春昭進堂主人 髙橋龍一  
於平成31年2月12日三春小学校

・三春城下の和菓子屋 

三春城下町にはお寺が多い。

有名なお坊さん

・戦国時代田村氏 ―・福聚寺物外和尚・雪村和尚

・江戸時代初期松下氏 -・天澤寺曹洞宗本山総持寺貫主輩出・

・江戸時代秋田氏 -・高乾院月船和尚・

・戦後・州伝寺 太地玄亀和尚 弟子主体で本堂再建 一億円

・弟子200人や檀信徒3000人参詣

・宿坊が多い荒町、精進料理豆腐・お茶・そして和菓子。

・昭和30年代・菓子屋・パン屋 21軒。豆腐屋18軒。お茶屋15軒。


・おたりまんじゅう

三春城下中町にある本陣本店の「本陣醤油」と北町にある中屋の「三春みそ」が練りこんである。- 三春の味 地元の味

原材料を国産にこだわる。

食の安全=兵庫の小麦、北海道の小豆、長崎五島列島のにがり塩

手作り・一日6000個 機械があるがー大手との差別化


商売とは

一寸法師はなぜ大きな鬼に勝てたか?

小さな針の先端にすべての力を注いだ

小さなお菓子屋が大手と勝負する 一つのことに特化する


三春での商い

・滝桜 毎年春には日本中(世界中)から脚光を浴びる 

・三春を宣伝すれば、三春の饅頭屋として知ってもらえる。 

・塵壺・物見遊山・ホームぺージ 最高の営業マン・最大の武器







三春の歴史

・戦国時代 田村氏=三春築城・磐城(がんばん)の城

・安土桃山 会津蒲生代官 商人

・江戸初期・松下氏=三春城下町整備

・江戸中期 秋田氏

三春城下 ― 郭堺黒門 ― 三春城内 

町割り木戸 ― 町割り区分 ― 夜間通行禁止 ― 夜間の集まり禁止

武家娘 ― 一人や娘だけのでの外出禁止 冠婚葬祭・お墓参り・祭礼・

農村 ― 庚申講・お伊勢講・熊野講・おかま講 夜間の行楽


三春小学校 御殿・政務所 能舞台

北町天神様・三春城内にあった とうりゃんせ♪~川越城  

太鼓堂(三春小学校北側山頂)-愛宕神社階段途中に移設

・愛宕神社本殿-三春小学校奉安殿(教育勅語・天皇のお言葉)

・鐘撞堂(田村大元神社麓) 三春城三ノ丸


田村大元神社にまつわる怖い話

・戦国末期・伊達派・相馬派・家中2分=田村家の存亡―世情不安

・大元帥明王社(現田村大元神社)- 

・不慮の死・田村清顕の亡霊 

・生首浮遊 藁人形 お百度参りの妊婦が殺された 伝説

・伊達藩に吸収―250家の11家 農兵分離以前の思想 土着


お城坂

・旧三春藩秋田家上席宿老(家老)山舘秋田氏の家老屋敷跡 

・猫塚 己丑(つちのとうし、きちゅう)2月6日 お城に向かって建てられていた。

・猫を弔っている 

・しだれ桜・土留め がけ崩れ予防


三春化け猫伝説

・天明の三春大火 三春城下の大半が焼けた

・家督争い 家老・荒木氏の役宅ががけ崩れ 一家即死
 
 徳川幕府幕閣から、町方まで巻き込こんだ三春藩の御家騒動で、三春藩主継嗣問題に端を発し、家老荒木玄蕃高村および四代藩主秋田頼季(玄蕃の子)の閉門となり、「三春猫騒動」にまつわる正徳事件・享保事件。


家老荒木内匠は、世継ぎとなりうる幼君を亡き者とし、我が子を藩主に据え藩の実権を握ろう企んでいました。

しかし、幼君の傳役滋野多兵衛にその野望を阻まれた、やがて滋野は荒木によって無実の罪をきせられ、大町紫雲寺の境内、白梅の木の下で切腹させられ、傍らにいた猫が怨霊と化し、間もなく野望を果たした荒木に祟るようになったと云います。

今も紫雲寺に、残る滋野多兵衛の墓には、猫の怨霊に苦しめられた荒木が、槍で突いたという傷がのこっています。

又境内の白梅は紅梅に変わり、猫の怨霊は、約七十年後の「天明の大火」の時再び登場します。

天明五年二月、八幡町より火の手が上がり荒町、高乾院・荒木家の墓を焼払い、北町を駆け下り、舞鶴城御三階を炎上させました。
その後も火の勢いは衰えず、大町から南町そして新町へと軒並み家屋を灰にしていきました。

時の藩主秋田千季(荒木玄蕃の孫)三春教北町口黒門(現三春分署)へ消火指揮に出向いたが火災が迫り、新町の真照寺へ避難するために向かう。
しかし、炎は殿様を追うかの様に勢いを増し南町、山中、新町へと向かった

真照寺住職が門前まで迎えに出たところ、殿様の後ろに猫の怨霊が見え、袈裟の袂で殿をかばい隠すようにして寺へ向かい入れました。

火勢は、今の昭進堂の場所で、三春全域を焼き尽くした火災は、鎮火したと伝えられています。

大火後も猫(滋野)の怨霊に夜毎魘された千季公は、真照寺へ、弘法・興教両大師像の中に紫雲寺で切腹した滋野多兵衛の位牌を入れて納め、怨霊を鎮めたといいます。

三春城本丸跡に石垣を備えた秋田家先祖の慰霊碑があります。
この石垣の部分は明治初年、三春藩解体時に浪岡家当主浪岡季令氏が中心となって建立したものです。










春陽郷三春城下 御菓子司三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:31 | comments (x) | trackback (x) | 🌸菓匠蒼龍 心洗洞刹記::地域貢献 学校支援 |