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令和元年 塵壺6月号「三春牛頭天王碑」旧三春畜産協同組合 ~三春城下真照寺山内




「三春牛頭天王碑」旧三春畜産協同組合 ~三春城下真照寺山内


子供のころ、旧三春家畜市場では2か月に一度家畜の競り市が行われていました。

私の記憶には牛の競り市しかありませんが、本来は農耕馬や軍馬の競り市でした。

この頃、当三春昭進堂では競り市に来る畜産農家の方々に向けたお土産として“おたりまんじゅう”や“大福”そして“ゆべし”等々が喜ばれ文字通り飛ぶように売れていたようです。ありがとうございました。

また、昼時は普段は餡子を煮る鍋で作った、スルメで出汁をとり油揚げやさつま揚げ、そして竹輪などの練り物だけの特性醤油“おでん”や三角油あげの入った“キツネうどん”(後に新発売のペヤングヌードルが大人気となる!)が好評で、家中のいたる所が食堂と化して足の踏み場もないくらいのお客様であふれていたことが思い出されます。





そのセリ市場の入り口付近に「三春牛頭天王碑」と刻まれた石柱が立っていました。


牛頭天王とは、インド祇園精舎の守護神で日本に伝わってきた時に薬師如来・素盞鳴尊(すさのおのみこと)と同一視されたため、牛頭天王やその子の八王子権現は疫病退散を司り、“疫病消除”、“除災招福”、“出世開運”の仏様として信仰されて日本中に広まりました。





そのため旧三春畜産協同組合が昭和26年に三春方部家畜飼養農家一同の畜産振興と牛体守護、家内繁盛並びに五穀豊穣等を祈願、家畜に対する報恩感謝の拠り所として、“竹寺”の愛称で親しまれている埼玉県飯能市旧吾野村にある医王山薬寿院八王寺の御本尊「牛頭天王」の御分霊を、三春城下新町にある旧三春藩主祈願所である真照寺様、そして檀家の皆様の特別なるご協力を頂いて山内の一部に奉安しました。







竹寺での例祭は旧暦6月20日ですが、三春牛頭天王の御神体をお祀りするお堂の落慶式が11月6日に挙行されたために同日を例大祭日と定めて、以後、真照寺様によって毎年、祈願護摩祈祷により挙行しておりました。

牛頭天王堂を、奉安した当時は娯楽らしいものは全く無く、各地において素人演芸会が流行致し開催されており、弁当又は家で出来る御馳走を作り一家総出で観に行ったものでした。



牛頭天王祭にも祭の盛会の為余興として素人演芸会を開催、当時の市場北側に舞台を掛け(職員が何日もかかって作り)、出演者は各地区に割当て出演して頂き、年々盛大になりました。当時は交通事情が不便だった為、福島交通(県南バス)が臨時バスを運行する程の賑いでした。







この演芸会は三春町の皆さんは勿論、近郷近在よりの牛頭天王参拝と演芸参観で会場はあふれんばかりで、舞台での演劇などの時に、あまり観客が多すぎて、土手に登ってみたと伝わっています。

そして、子羊、小豚、鶏等が目玉賞品だったようです。

この大盛会を極めた素人演芸会も、様々な娯楽等が現れて約十10年位で幕が下ろされました。


其の後の例大祭は、関係者と一般参拝者の簡素な祭礼となっておりましたが、昭和50年代の三春牛造成計画と併せて、三春和牛研究会の発足(後に三春和牛推進組合より、あぶくま和牛育種組合と改変)により、例大祭の併催行事として、半日が研究会、講演会を催すようになります。

当時は、肉用牛の改良について畜産組合員の皆々様が大変熱心だった為、センターが満席となる出席者でした。






年々大盛会に開催されて、特に三春牛造成計画による肉用牛改良には故宇佐見登先生、外諸先生方々、又組合員皆々様の御協力により、例大祭、研究会等も大盛会でした。

三春畜協より各JAへの業務移管により、平成七年を以て、三春畜産組合による例大祭は終了となりました。

現在は、真照寺山内にあった社殿は解体されその跡地にはセリ市場の入り口に祀られていた「三春牛頭天王」の石碑が移設され田村地方の牛及び畜産農家の皆様の健康を見守っています。
 
 三春畜産協同組合史参照







       蒼龍謹白   さすけねぇぞい三春! 拝 


| ryuichi | 04:38 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |