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佐久間庸軒旅日記 佐久間庸軒著 安政5年戊午 船引町教育員会編 平成2年7月発行




佐久間庸軒旅日記 佐久間庸軒著 安政5年戊午
船引町教育委員会編 平成2年7月発行

またまた面白い本が手元に届きました。

一昨年より、三春町つくり公社で「三春町内神社仏閣の算額巡り&和算遊び手習い」を開催していましたのでご存じの方も多いと思います。

佐久間庸軒は、江戸時代後期から明治時代にかけ活やくした最上流和算家で三春藩士。

文政2年(1819)田村郡石森町(田村市船引町石森)に生まれます。

本名を纉(つづき)といいます。

天保7年(1836)、18際で二本松藩の最上(さいじょう)流和算家渡辺治右衛門に入門。さらに、和算研鑽の旅を続け、嘉永7年(1854)に研究成果を「当用算法」や「算法起源集」など著書も多くあります。

佐久間派の開祖として三春藩藩校「明徳堂」で算学を教え、新政府の絵図編纂御用も勤めていました。

維新後には自宅で塾(庸軒塾)を開いて農民や町民に算術や算学測量を教えています。

その門弟は2000名を教えます。





 庸軒が活躍した時代、和算はブームとなり、全国各地で上層階級から庶民へと広がっていきました。

和算を志す数学者や数学愛好家は、難問を解くことに成功すると、神社や寺に算額を奉納するようになりました。

これは、問題が解けたことを神仏に感謝し、自分の業績を世に知らしめるためでもありました。

また、和算好きはそれらの算額を見て回り、難問に挑戦しては腕を磨き、時には他の和算者に向けて問題だけを書いた算額を奉納して、和算対決の様相を呈していたこともあったようです。

三春町内の神社仏閣には、難問を解いた算額、問題だけ載った算額などが奉納されています。







佐久間庸軒の数度にわたる旅日記は、遊歴の算術家として江戸末期の日本各地を旅して算学をひろめ、最上流和算を作り上げた時の修行旅日記です。

天保十三年(1842)の庸軒路程記1~6は参詣に重きを置き、安政五年(1858)の九州辺天草の旅の九州遍路1~6は算術修行に重きを置いているようです。

庸軒などの「遊歴の算家」は、全国を旅して回り、行く先々で数学者と問答を行っています。地方に高名な数学者が訪れたと聞けば、地元の算術好きが列をなして教えを請い、臨時の数学塾が開講されていたようです。

庸軒の九州遍路行では訪問した算術家は34名(内31名は印鑑を押捺)に上っています。


この時代、様々な学問を修練しようとすれば、師を求め師に会うこと以外自分の学問を向上させる方法がありませんでした。

これは算術と言わず、医学、経済学、建築土木、そして政治等々志あるものはすべて諸国を周遊し師を求めていました。

時には滞在先で自分が先生となり講義を行うなどもありました。


本書では三春を発ち、江戸・箱根・桑名・伊勢・京都・岡山・山陰津和野・博多・長崎・本渡・熊本・宮島・信州善光寺・日光経由三春という行程での算術修行です。
一部船旅もありますが、もちろん9割以上が徒歩の旅路です。

全国津々浦々を旅する遊歴算家の活躍によって、和算ブームは草の根の広がりを見せて日本の隅々まで高度な数学が広まっていき日本独自の数学・算術である和算文化を築き上げていきました。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:23 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春藩始末記 |