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令和元年 三春城下の盆踊り




三春城下の盆踊り

三春盆踊りの起源は、法蔵寺宗旨である時宗の「踊り念仏」、浜通り南部の「じゃんがら踊り」、さらには江戸時代後期の頃に相双地区を襲った大地震や津波で、被害を受けた地域の救済と復興のために入植した新潟や北陸の浄土真宗門徒がもたらした「踊り念仏」を起源とされる「相馬盆唄」など諸説ありますが、三春城下は、岩城街道、会津街道をはじめとする主要街道が交差する文化と物流の交流拠点であり、それぞれの文化の影響を受けながら独自に進化していったものだと考えられています。





さあ、三春盆踊りです。

ご先祖さまや先立たれたご縁のある方々の供養です。

この世に未練が残らないように盛大に、そして陽気に踊ってあの世へ送ってあげましょう。






 八幡町末、城下境の日蓮宗法華寺の外側、三春城下黒門外に「踊り場」という地名が残ります。
江戸期にあった大桂寺の門前にあたります。

ここは、城下と農村の境目、所謂「隈」地帯に当たります。

江戸中期から末期に頻繁に発生した飢饉により領内からの避難民受け入れ施設を設けて施粥を施していた場所でちかくです。

この場所で「盆踊り」が盛大に開催されていたというところに、多数の死者を出しましたが、その霊を慰めるために踊りが盛んになったことは容易に想像がつきます。





また、昭和20年8月の玉音放送を受けて町当局から盆踊りは自粛・中止せよとの沙汰が発令されましたが、八幡町若連では“盆踊りは国に殉じた戦死者供養だ!”と「いろはや食堂」の裏山に太鼓を持ち込んで朝まで盆太鼓を叩いて戦没者を供養したと伝わっています。

また、城下では明治期以降の新町の競り市場での盆踊りが有名でした。
こはは、明治から大正昭和の初めにかけて庚申坂新地弓町遊郭があったことに由来します。
また、新町は、半農の商人や足軽が居住していた町というところも関係しているのかもしれません。






さらに、楽内や込木と境を接しているため、城下の中でも身分制度が希薄的な感覚があった地域です。

遊女がこの時だけは、郭の外に出て自らが楽しめた行楽で、踊り手もその御女郎につられて多数集まってきたと伝わっています。
江戸期以後、特に大正から昭和にかけての盆踊りは、男女の出会い的要素が多分に多く含まれていました。

時代的に、まだ、貞操観念の希薄や非人差別が尾を引いていた時代に、老若男女よも不合法な男女の出会いを求めて、太鼓や踊りをするためにも編み笠をかぶって顔を隠すこともあったように思われます。



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| ryuichi | 04:47 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |