2009-02-08 Sun
真照寺「節分会」暦も、いつのまにか、もう立春。 2月3日の夜、それぞれの家庭では「鬼は外、福は内」と叫ばれて、豆がまかれます。そして残った豆の中から自分の歳の数だけ、豆を頂きます。節分は2月3日だけでなく、冬から春、春から夏、夏から秋、秋から冬へというように季節の移り変わる分かれ目の日なのです。季節の分かれ目ということで「節分」という訳です。節分は年に4回ありますが、なぜか冬から春へ移り変わる2月3日だけを節分と呼ぶようになったのです。では、なぜ2月3日の節分に豆まきをするのでしょうか。
昔、ある所に美しい娘がいました。ある年の節分の夜のこと、家のものが出かけて、一人で留守番をしていると、どこからか一匹の鬼が現れて、「俺の嫁になれ。ならなければ殺して食ってやる」とせまります。ところが、この娘は非常にしっかりもの。「誰がお前のような鬼の嫁になどなるものか。さっさと出ていけ」と言うと、近くにあったザルの中の豆をつかんで、「鬼は外、鬼は外」と怒鳴りながら、豆を投げつけました。
たまたま娘の投げた豆が鬼の目に当たり、鬼は目を押さえながら逃げたのです。
こんな話から、玄関にヒイラギの葉とイワシの頭を棒の先にさしておくようになったといいます。ヒイラギの葉は葉先がとがっているので鬼をさし、イワシは匂いがきついので鬼が近寄らないためなのです。それでも近づいてきたら、豆を投げて鬼を追い払うということから、2月3日の節分の時だけに、豆まきが行われています。
これもいつごろからか分かりませんが、仏教と結びついて、「追難会(ついなえ)」、「節分会」と呼ばれるようになり、「鬼は外、福は内」と掛け声で叫ばれるようになったのです。
ところで、「鬼」とは一体なにを意味するのでしょうか。角のはえた赤鬼、青鬼でしょうか。仏教では、鬼とは私たち人間の心の中にある「鬼」だと教えています。
それは、「三毒」ということです。三毒は、貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)と呼ばれます。貪とは「むさぼり」、瞋とは「いかり」、痴とは「おろかさ」ということです。根本的な煩悩(ぼんのう)というものです。これらは、どことなく湧いてくる思いのようなものでしょう。しかし、私たちはこの思いに囚われてしまいます。
節分の時に叫ばれる「鬼は外」という言葉には、こういう鬼のようなよくない心を追放して、きれいでさわやかな心になり、幸福になろうという願いが込められていると思います。
私の住む、新町では、自宅の豆撒きが終わると真照寺の節分会に、旧いお札を納めながら、豆拾いに出かけます。もちろん、目指すのは福!「特賞の温泉旅行」やお魚券、日本酒、貴金属といった豪華景品です。
「福は内!」蒼龍謹白 合掌
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