2009-06-10 Wed
西田木村 木村舘跡
郡山東インター東の小高い山に、戦国期城郭の見張り台のようなものが見えます。
古舘山公園として整備されていますが、戦国期の領主木村越中守の居城でした。
古館山全体は戦国時代に使用された城の跡です。
本丸に木村神社があり、その北側に古館山公園として整備された物見櫓風の展望台が建てられています。
天正11年、木村氏は元々田村氏に所属する豪族でしたが、離反をきっかけに三春城主・田村清顕によって攻め滅ぼされます。
木村氏滅亡後、この城は田村氏の持城となり天正14年(1586)に田村清顕が没した後は、根木屋・宮田をふくむ木村郷は伊達政宗の命によって田村月斎・橋本刑部ら治め、木村城には橋本刑部少輔顕徳が統治したと伝えられています。
この時期は、伊達氏による奥州征覇の時期と重なり、田村家の内紛に係る「田村仕置」などの、政治的な背景から、 阿武隈川を望むこの本城跡が伊達方田村家の軍事的な最重要拠点として、田村家重鎮の橋本刑部を配し、城郭を現在の形に様に改築されたと思われます。
案内板によれば、この時に娘の「鶴姫」が阿武隈川に入水、後にこの場所を「つるこ淵」又は「七日淵」と呼ぶようになったとの悲しい伝説があると記されていました。
木村神社拝殿の床下に、古井戸らしきものがありました。
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