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三春物語78番 根本笠石八幡宮 おたりばあさんの証
当三春昭進堂の創始者おたりばあさんの亭主は、民四郎と云います。
込木は柳作の本家から苗字とこの場所を頂いて分家しました。
子供の時分より、講釈と物書きが大の得意で、畜産組合の書記・庶務や、目の前にある庚申坂新地の遊廓でも、会計や伝票書きの仕事を手伝う傍ら、酒席が大好きらしく、座敷に入っては太鼓持ちをやっていたと聞き及んでいます。
また、民四郎さんは、政治や時事論が好きで、昼間から客と論じあっていたようです。
その間、おたりばあさんはせっせと饅頭や豆腐等で商いをして、10人の子供を育て上げました。遺影を見るとお世辞にも可愛いとか綺麗という賛辞の語は見当たりませんが、苦労が顔に滲みこの人に人生ありの素敵な尊顔です。


 東光寺


 根本八王子神社

おたりまんじゅうを造った「おたりさん」は、滝桜の先にある根本の出身です。
この根本には、「根本八王子神社」や「笠石八幡宮」、そして田村三十三観音第二十九番札所「真言宗光谷東光寺」があり、温和な人々が暮らす、信仰のあつい郷です。
春には至る所に枝垂桜、八重桜、染井吉野が咲き乱れます。
また、秋の紅葉は、見事です。



 笠石八幡宮

柳橋海道から駒枝に抜ける途中の集落沿いにあります。
道路沿いに、木の鳥居があり、うっそうとした杉木立に覆われた境内には、本殿を取り囲むように巨岩が累々と積み重なっています。
小さな社殿の横から上方に掛けて、数体の岩が顔を出し、最上部に巨石が鎮座しています。
根本の笠石八幡
昔、八幡太郎源義家が安倍一族討伐の時、根本村に立ち寄ったところちょうど村では麻疹が大流行で村人たちは大変困っていた。
これを聞いた義家は、「それは大変だ。その悪魔を征伐してやる」と、笠石八幡の場所より南西の天目がけ、馬上より鋼弓に一矢をつがえて射放した。
麻疹の悪魔もその威勢に恐れて退散したのか、重い麻疹も急に快復した。
今も射放した場所には、馬蹄の跡が石についており、放たれた矢は、遠く堀越村の井堀に落下して井戸となったという。
この間を「一矢間(ひとやま)」と伝えられている。
笠石八幡の祠に至る前に、二つに割れた石の胎内くぐりがあって、笠石と呼ばれる巨大な石が載っているところから、笠石八幡と呼んでいたという。
その巨石には
「はしかとて 折ればかろし 笠石の蹄の址や 八幡の家」と刻まれている。
 


 

岩には横に亀裂が入っているものがあり、それが「積み重ねた」ように見えます。これを、笠をかぶせた様子に形容したのでしょう。
 


その参道に昭和十四年改築記念の寄付芳名石版があり、高橋タリの名前が読み取れました。
おたりさんが、商売繁盛、家内安全を祈願して生まれ育った根本にある笠石八幡宮に寄付したものでしょう。





また違う石版は、皇紀二千六百年大慶記念の石碑ですが、おたりばあさんの長男で当店の先々代高橋伝造の名前も見えます。
母親である、タリさんの信仰を受け継いだのでしょう。 






三春昭進堂代表 髙橋龍一


| ryuichi | 06:27 | comments (0) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |
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