2020-06-15 Mon
体力増進とダイエットのために早朝or夕方に散歩を開始して、早3か月になります。
体力は兎も角、体重はなかなか落ちてはくれません。
ここ一週間は、愛宕神社にもトライして、休憩なしで340?だったかの急な階段を休憩なしで登れるようになりました。
最近、朝の散歩コースに三春大神宮を入れています。
毎朝参拝が寺境内まで上がっていますと、普段は気が付かないもの期きずきます。
境内の石造鏡の近くにある「皇軍全勝・武運長久・国威発揚・東洋平和・日拝祈願」石塔もその一つです。
この石碑は、昭和14年に「内務大臣通牒ニ依リ本日ヨリ七日間毎朝皇軍ノ武運長久及国威宣揚祈願祭リ執行ス、毎朝参籠潔斎ノ上祭典ヲ行フ。」との公布により、全国の神社にて行われた「国威宣揚皇軍武運長久祈願祭」の際に建立されたものです。
昭和12年の盧溝橋事件をきっかけに始まった支那事変(日中戦争)は、当初の想定に反して長期化して泥沼化していきます。
これに伴って戦没者も増加し、国内では出征軍人に対する武運長久の思いも強くなっていきます。
出征兵士の武運長久記念のため、送り出した家族による寺社参りも盛んになまり、縣社三春大神宮も大鳥居建立や石段修復等の境内整備が進められました。
国として必勝ということなんでしょうが、参列された町長、区長以下の役員の方々も含めて子供を戦地に送るりだす親兄弟はもちろん祖父母も、その無事帰還を願う気持ちがこの石塔に込められているんだともいます。
また、境内の石造石鏡の周りや境内の入口付近に複数設置してある石の三宝(三方)か机、石柵の一部?のようなものがあります。
全てに寄進者の名前があり、石造鳥居付近には古物商小野寺、釜屋薬舗等、見知ったお名前の方々が寄進されたものもあります。
昭和に入り、戦時下ということもあり「国家神道」のもとで神社は国威宣揚、聖戦勝利、皇室崇拝などの祈願の場とされ、三春町民を動員した祈願祭、奉告祭がしきりに行われていたようです。
三春大神宮の古写真を使ったポストカードです。
お判りでしょうか、拝殿が茅葺のままです。
また、神楽殿が境内右にあります。
明治35年9月の三春大神宮裏山土砂崩れで、社殿及び神楽殿他の建屋が倒壊してしまいます。
この時には資料となる多くの文献が土砂に流され紛失してしまいます。
三春町史より
昭和6年に、その幣殿拝殿の再建が始めっていますので、昭和6年以前の写真が使われていると思われます。
昭和6年の再建時に三春城下の小学生が運び上げたという小石が本殿前に残ります。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 04:26 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩総社神明社(三春大神宮)::三春大神宮 |
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