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込木見渡神社、楽内熊野神社 五穀豊穣、洞内安全祈願の辻札




三春城下郊外、「込木洞」込木集落入口にある込木見渡神社の五穀豊穣、洞内安全祈願の辻札です。


昔より、三春城下在村人は、村の外から疫病(えきびょう)や災厄(さいやく)が村内に入り込むのを防ぐために、村の出入り口で「道切り(みちきり)」と称される「祈祷(きとう)」や「呪(マジナ)い」をしました。









毎年、夏越しが過ぎ7月はじめ付近になると、三春城下郊外の村々では御祈祷といって一家の戸主(世帯主)が村内の神社神前に集り、神主さんを呼んで、洞というくくりでの村民の無病息災・五穀豊穣を祈念しています。


その祈祷した「お札」を竹に括り付けて「御祈祷御璽(ごきとうぎょじ)」、「辻切り(ツジキリ)」の辻札として、辻などの突当りとなる村の入口、特に鬼門(東北)や裏鬼門(南西)の方角に立て「魔物の防壁としたもので、 ...外部より病魔や災難が村内に進入しないように願っています。









お札には、洞(ふら・うつろ)内安全と記載されています。

洞(うつろ)とは、集落を指しています.

その語源は、室町時代後期から安土桃山時代・戦国時代にかけて、三春城主田村氏(奥州及び坂東の戦国大名)に見られた田村氏一族以外の配下・合力与力の「武士団」形態で、田村領八十八郷の村々の地侍・惣領である地域の当主を中心に一族呼ぶ総称です。










鎌倉武士の「一所懸命」という感覚で、生活の糧である先祖代々伝わっている所領(田畑土地山林、屋敷など)を一族郎党で命をかけても守るという考え方が残り、力関係で国主.盟主の配下として与力する一つの武士集団のくくりで、農兵分離後の江戸幕藩体制の確立に基づく近世大名における「家中」、家臣という位置づけです。








戦国時代の仙道(今の福島県中通り地方附近)は、中小の戦国武将・地侍がひしめく激戦区でした。


田村荘司田村氏の流れを汲む三春田村氏も同じ、長年にわたり四面楚歌の状態が続いています。


その状況下の中で、三春田村領内に於いて地侍と地縁的、族縁的な「洞中」の領主連合を形成し、その盟主としての地位を固めていったと考えています。







楽内熊野神社 「楽内洞」の辻札










医学の未発達な時代、人々にとって「疫病」は大きな脅威でした。

疫病に罹らないように行われたこうした加持祈祷には、人々が期待し、慎み、みんなで協力して疫病や災厄を祓い、それによって幸運が訪れることを願う気持ちは現在も同じです。










また、村の入口には道祖神が祀られています。


「塞の神」とも呼ばれ「塞(ふさ)ぐ」という意味です。





込木末の馬頭観世音石碑



この神さまも、村の外から来る疫病 (伝染病)や災害などをもたらす悪霊を防ぐために、村の入り口(村境)や道が交差し様々なものが吹き溜まるところとされる“辻”に祀られた神さまであります。






辻切りのためなのか、川平道と滝道の辻の突き当りに建立され「魔物」の防壁としています。






田中坂末の馬頭観音石碑





こちらも、芹ケ沢道と滝道(御館道)の辻の突当りに建てられています。







込木洞の一つです。







高速道路「磐越道」の陸橋下、柳橋道の立体交差にも設置してあります。







交差する辻は、平面立体問わず、天界・地獄界も含めた”辻”という意味合いも含まれており、位階的な感覚なのでしょう。


行き場のない魔物や禍が迷い澱む場所とされています。


洞内の交通安全祈願です。








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:07 | comments (x) | trackback (x) | 旧中郷村::込木・楽内・芹ケ沢 |