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「馬頭観世音」武部為右エ門・武部八十七 上移の石塔群 





上移の石塔群です。

先の所要があり、移に出向いた折に写真を撮ってきました。






以前、上移の鎌田勝三郎様、そして、同じく移の菅野義徳様にもこの「馬頭観世音」の石碑の写真をいただきご紹介いただいたことがありました。

三春馬の資料にどうぞということで、鎌田様が、平成24年10月に老人会で講演されたときの資料「謎の人物 武部為右エ門・武部八十七」を持参されました。







資料にもありますが、上移曲山地内にある庚申様付近の建立されている「馬頭観世音(大正3年3月17日建立)」の石碑の施主にも武部八十七氏の名前が刻まれています。






鎌田様は、勝三郎様の祖父伊三郎氏が几帳面で、昔の資料を保存していたそうです。


それらの資料を勝三郎様が分析された中にこの資料の中心人物である武部為右エ門・武部八十七親子に出会って興味を持ち調べ始めたそうです。






「謎の人物 武部為右エ門・武部八十七」

明治から大正にかけて上移地区に、武部氏なる人物が住み、商売、畜産業を繁盛させた方の文献を少し、見つけまして、興味を持ち、調べてみましたが、何分にも資料が乏しく、あまり良い結果は得られませんでした。

ほとんどの方が、武部と云う姓を開くのが初めてだと思います。

年代から見て,親子二代に渡り上移地区内住んでいたものと思はれます。

父親と思われる為右エ門氏は八幡神社に神前に供える鏡を納入、通い帖を見て、幅広く商いをやった様子がうかがわれます

三春潘は昔から産馬に力をいれ馬産地として、有名であり馬の競り市を開き、各地区かり多くの馬喰が集まり大層な賑わいを見せ、その頃に庚申坂なる遊郭街が生まれたらしい。

八十七氏は馬産に力を入れ,上道の鍋越地区 現在の佐久間記一氏宅辺りに牧場を開いたらしい。

八十七氏は馬産の成功を願い、曲山地内、俗に云う庚申様は馬産の成功をの場所に「馬頭観世音」を建立したものと思う。
又、八十七氏は上移地区の産馬総代も務められて、明治四十三年には、国有種馬、厩舎の新築にあたりご尽力された方です。


国有種馬は、現在は、その建物はありませんが,上移町のふくだやさんの前の道を少し入った所の高台にありました。






三春町史3を見ますと、慶応4年4月の戊辰の役前夜には町役人として平日帯刀を許された20名の一人に武部為右衛門の名前が記載されています。


また、「三春町役人記(春山文書)」に、町年寄八幡町取締 武部為右衛門年齢58の名前が記載(明治2年8月改正、同年12月罷免)されていますが、武部氏が上記の武部氏と「同一人物なのか?また、同一人物なら移村に移った経緯は判りません。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:20 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春ノ信仰1 |