2008-06-17 Tue
松橋のイボ清水松橋の「イボ清水」をご存知の方は、多いと思います。
チリ紙を清水に浸しイボに付けて傍らにある古木に投げつけ、振り向かずに家に帰るとイボが取れると云われる不思議な清水です。
江戸初期の三春二代城主秋田盛季公の娘が、手の甲に沢山のイボが出来て困り果てていました。
ある夜娘は「城から丑寅の方角に清水があり、その湧き水をイボにつけるとイボが無くなった」と云う夢を見たとのことで、近侍に調べさせたところ松橋に清水が湧き出ており、さっそくイボの手を浸したところ、数日してイボが無くなりました。
それからこの清水は「イボ清水」と呼ばれ藩内はもちろん他藩の領地からもこのイボ清水を訪れる人が絶えなかったといいます。
また、別な話も聞きました。
何処からか行者が現れ、付近の里人に「この清水には、妾の精霊が宿っている。妾はイボ清水になるぞ。この妾とは、顔中にイボが沢山ありものすごく醜女に生まれ育ち、世間の人々に嘲られて、切ない悲しい思いをしたので、世の人に同じ憂き目はさせたくないとこの清水の精霊となった者である。イボとは体に出来るイボばかりではないぞ。人の心にもイボは出来る。心配事もイボになるぞ。この清水で洗えば全てのイボが取れるぞよ。」と言い残して立ち去ったといいます。
里人は早速イボのある手を浸したところ間もなくイボが消えたと言います。
そしてこの清水で手や顔を洗った人は、心根の優しい温和になるといわれ、いつしか「イボ清水」と呼ばれたというものです。
子供に関する犯罪や殺人事件などのというニュースを見聞きしますと、修羅の世界だなと感じます。
仏教の教えでは修羅とは、奪い合う世界のこととあります。
あなたは、今、何が足りないですか? あなたは、今、何が苦しいのですか?
足りないものは何ですか? 苦しいものは何ですか?
それは、俺は偉い!私が一番!等の「俺が・私が」我の心でしょう。
「我」の心が縛られ執着心となり、我執の塊となるのではないでしょうか。
所が、自分の思い通りにならないと、その事を最大の苦しみとして、その要因を他に求め安易に他を傷つけ奪ってしまうようになります。
心の中に出来るイボの「イボ清水の教え」はその心の在り方を教えているように思います。
その心あることを知り、信じ、解り、体現していく・・・ これこそが、清水の精霊となった妾の教えでしょう。
人をへだつる心 、これによって、一番苦しい思いをするのは、自分自身であることを忘れてはならないと思うのです。
へだてのない心、大きな心 その心を持つ歩みを どうぞ 大切に。
「世の中の 苦しきことを 人問わば 人をへだつる 心と答えよ」
合掌 蒼龍謹白
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