CALENDAR
S M T W T F S
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
<<  2018 - 11  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




三春物語66番 「三春化け猫騒動」
   

 三春御家騒動・正徳、享保事件と「三春猫騒動」
 大町の浄土宗引接山紫雲寺、戦国期創設の浄土宗の古刹である、その境内に、三春の歴史を見続ける梅の古木があります。
 三春藩主継嗣問題に端を発し、「三春猫騒動」にまつわる正徳事件と、家老荒木玄蕃高村
および四代藩主秋田頼季(玄蕃の子)の閉門を中心とした享保事件は、徳川幕府幕閣から、町方まで巻き込こんだ御家騒動といわれます。
 
正徳事件・「三春猫騒動」・当時、家老荒木内匠は、世継ぎとなりうる幼君を亡き者とし、我が子を藩主に据え藩の実権を握ろう企んでいました、しかし、幼君の傳役滋野多兵衛にその野望を阻まれた、やがて滋野は荒木によって無実の罪をきせられ、大町紫雲寺の境内、白梅の木の下で切腹させられ、傍らにいた猫が怨霊と化し、間もなく野望を果たした荒木に祟るようになったと云います。
今も紫雲寺に、残る滋野多兵衛の墓には、猫の怨霊に苦しめられた荒木が、槍で突いたという傷がのこっています、又境内の白梅は紅梅に変わり、猫の怨霊は、約七十年後の「天明の大火」の時再び登場する。
 
享保事件は、家臣団の勢力争い・対立の末、幕府老中同士の対立を呼び、その政治紛争で負けた、荒木玄蕃高村の蟄居と、その子である、藩主秋田頼季の閉門により、正徳の事件より約八年続いた、御家騒動は、幕閣の介入により幕をとじました。
 天明五年二月、八幡町より火の手が上がり荒町、高乾院・荒木家の墓を焼払い、北町を駆け下り、舞鶴城天守を炎上させました、その後も火の勢いは衰えず、大町から南町そして新町へと軒並み家屋を灰にしていきました。
消火指揮に出向いた、時の藩主秋田千季(荒木玄蕃の孫)の避難所・真照寺へ追うかの様に火は、勢いを増し南町,山中、新町へと向かった
 真照寺住職が門前まで迎えに出たところ、殿様の後ろに猫の怨霊が見え、袈裟の袂で殿をかばい隠すようにして寺へ向かい入れました。
火勢は、ちょうどその場所・今の昭進堂の場所で、三春全域を焼き尽くした火災は、鎮火したと伝えられています。
この大火後も猫(滋野)の怨霊に夜毎魘された千季公は、真照寺へ、弘法・興教両大師像の中に紫雲寺で切腹した滋野多兵衛の位牌を入れて納め、怨霊を鎮めたといいます。
                    合掌  





 。
「腹切り梅」の伝説は、荒木玄蕃が、我が子頼季を藩主の座に就けようと広季公の命をねらい、それに気がついた広季公護役の滋野某を無実の罪に追い込み、大町の紫雲寺境内白老梅にて切腹させました、このときいらい白梅は紅梅となったと言う話です。
「三春化け猫騒動」の伝説は、切腹した滋野某の飼い猫が、紫雲寺の切腹場に現れたところを、腹を切り息も絶え絶えの滋野某が、その猫の首を刎ね、「自分の代わりに化けて恨みを晴らせ」と言い残して絶命しました、それ以来家老荒木玄蕃や藩主頼季の夢枕に猫の怨霊が現れるようになったと言うもので、以来三春の大火の度に猫の怨霊が火を点けて空を駆け回ったと言う話になり、昭和のはじめ頃まで大火の度に囁かれたといいます。
現在でも三春では猫の出し物の演芸が行われていません。
     蒼龍謹白・・・・・・・・合掌






| ryuichi | 17:33 | comments (0) | trackback (x) | 三春城下大町 |
コメント

コメントする